一千万年ぶりの合致
ピリカダムから河口である日本海まで51qの後志利別川。
初音鉱山は後志利別川と並行する太櫓川河口付近にある。
付近は平坦な農耕地で山岳地帯ではない。
太櫓川栄付近から山中に入る。
いきなりの廃道で地形図にある破線の道も見当たらない。
しかたなく沢に沿って歩く。
沢の水量は少なく、ナメ床もある。
ここから約500mで鉱山跡のはずだ。
これほど自然に帰っているとは想像していなかった。
延々このような激藪が続く。
昭和7年の再開時、
すでに旧坑道は採掘されつくしていたそうだ。
埋没した坑口らしき場所もあるが確証はない。
山中深い訳でもないが、
植生が凶悪だ。
一部、建物が存在していたような平場もある。
当時のマンガンの主利用先は、
乾電池の製造原料であった。
恐らく当時のものと思われる、
皿の破片だ。
結果的に残念ながらこれが唯一の遺構となる。
行けども激藪は変わらない。
1961年頃に北海道地下資源調査所に一つのデスモスチルスの臼歯(標本A)が保管されていた。
これは発見から同所が所蔵するに至る経緯が謎の個体だ。
帰路のことも考慮し、ここで探索を断念する
。
61年の標本Aと78年の標本Bはなんとその接摩面が一致、
X線による探傷の結果、両標本は同一個体の臼歯であると判明した。
陶器の残る沢、恐らくの鉱山住宅跡。
長い時を経て、二つの歯が同じデスモスチルスのものだと判明したのだ。
凶悪な鉱山跡は、かつて海岸線だったのかもしれない。
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