氷筍アイドラー
年始の山中は雪深く、気温は-11℃。
鉱山跡に向かってスノーシューで快適に歩く。
足跡は全く無い。
到達したのは破壊の跡激しい選鉱所廃墟。
屋根も高く、積込施設の下部は水槽のようだ。
捻じれた鉄筋が痛々しい。
選鉱用の機器が残存する。
昭和55年(1980)閉山と比較的新しい。
雰囲気も昭和前半のものではない。
選鉱所の同じ棟に事務所跡がある。
下部は水が溜まり、それが凍結している。
この時期ならではの光景だ。
事務所跡は時が止まっているようだ。
人数分の湯のみが残り、
ここで談笑していた光景が目に浮かぶ。
事務室も良好な状態で残る。
電話、ヘルメット、そして椅子。
引出しの一つが気になる。
引出しの一つには夥しい量の折り鶴が。
怪我の回復を願ったものか、
果たして閉山回避を願ったものか今となってはわからない。
天井にはつきものの神棚、
そして、横には電光の掲示板がある。
装置の稼働状況を管理する機器のようだ。
事務所を出て水槽のような足元に留意し、
選鉱所を抜け出す。
裏手の廃祉に向かう。
選鉱所の裏手には窓ガラスの残る廃墟がある。
その内部はうかがい知れないが、選鉱所事務所と接続しているようだ。
豪雪をかき分けて、回り込んでみよう。
回り込んだ先に忽然と現れたのは、
巨大なチェーンを介した駆動器。
そして坑口である。
坑口には
「キャリーイングアイドラー」送りベルトを受けるローラー
が見える。
手前の装置はディスチャージシュート、つまりベルトコンベヤーから
流れてきた鉱石を集積排出する部分だ。
これはベルトコンベヤーを介した鉱石運搬坑道だ。
切れた送りベルト(上ベルト)には氷筍が育っている。
奥へ進んでみよう。
帰りベルト(下ベルト)も残存している。
細く育った氷筍がやたらとある。
奥には何か装置が見える。
リターンアイドラー(下アイドラー)が見えない。
つまり距離は100m以下程度だろう。
坑道というよりホッパー内の一部のような痕跡だ。
そして驚きの坑内分岐である。
左手60°方向に分岐したコンベヤーが続く。
直線を先に確認してみよう。
突き当りにはローディングシュート、つまり上部からの鉱石を受け取る装置、
そしてベルトに近い部分には鉱石を流すスカートボードがある。
ここで上部から流れ出る鉱石をベルトコンベヤーに積載していたのだ。
マウスon 各装置
そして坑内分岐箇所には再びディスチャージシュートと、
コンベヤーの傾斜を稼ぐトリッパーがある。
Y字のコンベヤー接続部でも鉱石を積載していたのだ。
マウスon トリッパー
分岐60°の先に進む。
コンベヤーは分岐に向かって傾斜、登坂している。
下部には小径のインパクトアイドラーがある。
分岐60°末端である。つまり最奥。
ここにもローディングシュートとスカートボードが設置されている。
Y字配置のコンベヤー最上流二か所から鉱石を積載していたこととなる。
鉱石運搬は戦後復興期、トロッコが主流であったが、
時代と共にベルトコンベヤー化されてきた。
坑口に鉱石を移送する基幹となるベルトコンベアーの慣れの果てである。
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