天寧炭鉱跡  探検: 北の細道 天寧炭鉱

天寧炭鉱の小さな鉱区を歩く




北海道釧路市釧路町

   開国後間もない安政三年(1856)、一隻の大型和船が 「オソツナイ沖」釧路市岩見ヶ浜 に出現し、
地元で後に『石炭浜』と呼ばれた海岸に錨を降ろした。
この船は幕府の名を受けて、オソツナイ海岸露頭から採炭した石炭を箱館港に運搬する船だった。

この海岸は水深の関係や突出した岩礁の影響で大型船が投錨するには条件が悪かった。
当時、箱館港に入港する外国汽船に大量の石炭を送炭する必要性が急務であった。
そこで幕府は海岸の採炭場の中でより条件の良い白糠シリエト(石炭岬)での本格採炭に踏み切った。

このように釧路地方では当初、海岸線の採炭が進み、
徐々に内陸に開発が進む、独特の形態を歩むこととなる。


天寧(てんねる)炭鉱は明治35年認可、明治37年から採炭が進み、
約60mの坑道と坑外での採炭が行われたが、明治40年には閉山している。

大正3年には再び着業し、大正14年に再び放棄されている。
東坑・西坑・南坑・北坑と開発が進み、釧路に近く品質良好とのことだったが、
坑道からの出水が多く、作業困難となり休業に至った。


あまりに小規模な旧い炭鉱跡。
テンネルという不思議な音の響きに吸い寄せられるように、
かつては道内第二位の埋蔵量を誇った道東の炭鉱跡の一つを探索する。





ズリ山・神社・荒地・・・



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( ̄u ̄;)炭鉱跡





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