雄別最奥


阿寒町徹別(てしべつ)の雄別通洞より約12qの山中だ。
林道はあるものの非常に荒れており、
本格的な四輪駆動車でないとアクセスは非常に厳しい。 阿寒町


林道から分岐するといきなり廃道だ。
地形図にある徒歩道の破線も定かではなく、
倒木を超えてのオリエンテーションで進むこととなる。 廃道


辛うじての廃道も場所により続いているが、
目的地とは大きくそれたり、この道に沿うのは危険なようだ。
炭鉱跡へ向かう道はあくまでもGPSにより方向だけを確認しつつ進む。 GPS


等高線の緩い場所を選んで進むがご覧のありさまだ。
このような場所は『スリーオクロック・ナインオクロック』で進む。
つまり山側の足は斜面と並行に、谷側は斜面下方向につま先を向けて進むのがセオリーだ。 トラバース


輪車路のような急だが幅のある道に出た。
あと標高50m程度下れば目的地だ。
下るときは帰路の登りを十分考慮して歩く。 輪車路


そして眼下に見えたのは、小さな建物だ。
山中の景色を割る人工物だ。
これは風洞関連の施設だろうか。 風洞室


到達したのは扇風機とその坑口だ。
ガス抜きの 「末広装置」一名拡散装置またはエヴァーゼーと称される大気圧より 高圧にすることで 排気抵抗を低減する装置 もある。
これは大型物件だ。 連卸し


施設はやはり昭和40年代付近のもので昭和初期の遺構とは色合いが異なる。
炭鉱としては後期のものだ。
よくぞこの山中に現存していたものだ。 扇風機坑道


これは坑外扇風機とその原動機室のようだ。
恐らく排気坑口で斜坑により通洞と接続していたのだろう。
内部を確認してみよう。 扇風機室


内部には制御盤、そして台座と繋がる軸が見える。
これは奥雄別通洞に繋がる中部斜坑で、
最終的には雄別通洞にも繋がる通気設備だ。 扇風機室



制御盤の中には鳥の巣がある。
リレーやマグネットSWなどはことごとく外されたようだ。
扇風機駆動用の電動機(モーター)を制御していたのだ。 制御盤


トランスか開閉器、過負荷遮断器のようなものもある。
奥には軸受の一部も破損している。
37kwの電動機を用いて主要扇風機で排気を行っていたのだ。 軸受


坑口方向へ続く軸である。
炭層の傾斜に沿って下る方向を卸(おろし)と呼び、
本卸(ほんおろし)坑口が石炭搬出・入気、
本坑は連卸(つれおろし)坑口で主に排気を中心に司った。 軸受


『長沢斜坑坑外扇風機運転遵守事項』『回転数の変更による能力』
注意喚起の看板が今なお残る。
ほぼ読めないが、モーター、保安管理者、電流などの達筆な文字が見える。 マウスon


『長沢斜坑坑外扇風機』その仕様書も残る。
設置は昭和37年11月。
37kw、回転数1450rpm。 マウスon


機械番号を示す銘板だ。
F3号、雄別礦業所の文字が。
『礦業所』は『炭鉱』のその上の規模を示す。 銘板




扇風機室から下るとすぐに封鎖された坑口がある。
これは中部斜坑連絡坑口だ。
奥雄別通洞に繋がるメンテナンス用の坑道だ。 坑口


沢沿いにも遺構が多数散乱している。
これは鋼製の箱で内部には煙突のような部材がある、
作動油などのタンクだろうか。 マウスon


大量のワイヤーロープが棄てられている。
太さにばらつきがある。
巻揚げ機や索道があったのかもしれない。 ワイヤー


斜面の上部に坑口らしき閉鎖部が見える。
登ってみよう。
周辺で三つ目の坑口だ。 坑口


これは中部斜坑本卸坑口だ。
つまり、石炭搬出・入気のための斜坑だ。
連卸、メンテ用、本卸と3か所の坑口の関係性が見えたこととなる。 本卸


鹿の 「ヌタ場」(ぬたば)マーキングなどを行う水場 を抜けて、
別の谷へ向かう。
途中でキタキツネが興味津々でこちらを伺っていた。 ヌタ場


途中の沢にはモーターが埋没している。
ウインチか巻上機が存在したのかもしれない。
周辺上流はあとで探索することとする。 モーター


沢を超えて森を抜けると、RC製の土台のような一角がある。
そこには水が溜まり、
遺跡のような雰囲気だ。 架台


ここの土台はかなり大きく、
アンカーボルトも設置してある。
これは中部斜坑本卸坑口巻座、つまり巻上機の土台である。 土台


M20程度の太いアンカーボルトが何本も埋設してある。
先ほどの本卸坑口からの石炭などの巻揚げを行うため、
この土台をアンカーにした巻上機が設置してあったようだ。 土台


こちらは隣接するコンプレッサーの土台。
圧縮空気で作動する工具などのための設備だ。
モーターやタンクなどが並んでいたはずだ。 コンプレッサー


コンプレッサーの土台付近にある金属製の遺構だ。
これは圧縮空気の吸い込み口のようだ。
よく撤去されずに残存したものだ。 コンプレッサー


碍子や電気関係の部材も散乱している。
コンプレッサーの電動機を駆動するためのようだ。
この深い山中まで電気が来ていたこととなる。 碍子


レールのような鋼材を束ねた遺構もある。
これは重石のためのアンカーか、
巻上機の補助的設備のようだ。 アンカー


トラックの根太が反転したような部材が朽ちている。
ここまで車道があったのは間違いないと思うが、
現在はそのような道は存在しない。 根太


現地に積込ビン(ホッパー)は存在しない。
「切羽」(きりは)坑内の採掘現場の最先端 からコンベヤーで 「片盤坑道」(かたばんこうどう)炭層の傾斜と直角方向への坑道 に運ばれた原炭が坑内でポケットに一時保管され、
ポケットからは炭車にて斜坑に運ばれる。 土台


その原炭は 「蓄電車」充電式のバッテリーで走る電気機関車「コース巻き」コース=綱首によってウインチに連結し直接鉱車を巻揚げ巻下げする方法 によって斜坑まで運び出された後、
この施設である巻揚げ機にて通洞に運搬され、
通洞からは 「架空線電車」(トロリー)上部の架空線から終電して走る電気機関車 により坑外選炭施設まで運ばれたこととなる。 アンカー


つまり坑底と通洞の間を繋ぐ斜坑の間だけの原炭巻揚げを担ったのが長沢斜坑であり、
地上までの搬出システムは存在していないこととなる。
また入気坑道も兼用しているのである。 斜坑


施設内を抜けて先ほどのモーターが埋没していた沢へ戻る。
途中にも遺構が散乱している。
これはトランス(電源)の一部のようだ。 トランス


モーターの沢から少し急な斜面には、
ワイヤーが伝っている。
これを遡ってみよう。 ワイヤー


ワイヤーに沿った上流には、
プーリーのような円盤を介した廃祉がある。
ここにもワイヤーが這っている。 索道


これは石炭の搬器ではなく、
奥雄中部斜坑建設時の資材搬入用の索道跡だ。
深い山中のため、この索道をクレーンのように利用したのだ。 索道


既にプーリーは腐食して回らない。
奥雄中部、この一角には採掘した石炭が一度も搬出されたことがない。
しかしながら中継地点の要所として閉山まで君臨したのは間違いない。 索道









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扇風機室
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