新ウトロ鉱山跡  探検: 北の細道 新ウトロ鉱山

新ウトロ鉱山で感電する




北海道斜里町

   北海道の鉱業資源は非常に豊富で、未開発のまま地下に埋蔵されているものが多い。
多種多様な地下資源も戦時下の強力な需要要請により一時隆盛を見ただけで、
終戦前後は不振となり、開発経営に多額の資金を要する鉱山経営は、
莫大な資本を有した企業が執り行うか、国家的助成を必要とする。
また資本集中が排除された今日においては、
小中企業者の参入を拒む側面もある。

北海道においては原鉱の生産のみが推し進められ、
製錬や製造は道外資本によるところが多かった。
これは本道開発上、非常に不利であり道内で完結する施策が必要とされてきた。


道内の鉱業は昭和12年頃から急速に発達し、
昭和18年頃に最高鉱産額を記録し、全国の15%を占めることとなる。
その稼行鉱山数は350か所となり、労務者25,000名に達している。

ところが昭和18年以降は20余鉱山が休廃止となり、
その他各鉱山でも操業に必要な各種条件で制約を受けることとなる。

昭和20年以降、道内の鉱業の開発目標として掲げられたのは、
肥料・硫酸の原鉱である硫化鉄鉱、機械工業の発展中心となる鉄鋼、
電気通信設備のための鉛、そして原油である。

また鉱業の特殊性を加味してこれを認識する必要性も提唱されていた。
例えば大鉱山の広範囲施設維持のための資本確保、
長期を要する開山後の資金回収、鉱床状態に沿った操業規模の決定、
大鉱山も小鉱山からの発展であるが故の小鉱山維持育成などである。


また探鉱は鉱業発展の根本をなすものなので、
採鉱と並行して探鉱を行う必要性があるが、
これが民間企業者の円滑な発展を制限する可能性があり、
製錬事業や二次製品加工事業と合わせて、国の補助が要望されてきた。


新ウトロ鉱山はウトロ市街地の2q東方に位置し、約600万年前の火砕岩を鉱床とする。
昭和15年から29年にかけて試掘されたが、金鉱は微量しか含まれておらず、
閃亜鉛鉱の鉛と亜鉛鉱脈が細々と採掘された。

歴史的な資料を保管する関係機関の資料協力もあり、
かつては存在したと言う、レールの残存する坑口を探索する。




ズリ山・レール・沢登り・・・


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( ̄u ̄;)温泉





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