今は無き硫黄運搬システム


知床硫黄山は標高1,562mの活火山で、
知床半島に存在する第四紀火山のうちで最も大きく
有史以降は四回の大きな噴火があり、現在でも気象庁の観測下にある。 硫黄山


アクセス途中のカムイワッカ湯の滝は温泉の流れる珍しい滝だ。
鉱山採掘当時の河口は黄色い砂丘になっていたというが、現在は景勝地だ。
水温30度の弱酸性、観光の場合は靴下を履いて登ることとなる。 カムイワッカ湯の滝


ベアアタックに備えての羆除けだ。
唐辛子成分の入った催涙スプレーだ。
羆との有効射程距離9m以内、スプレー時間は10秒以内、はたして・・・。 ベアアタック


湯の滝以北は通行止めで入山には林道特例使用制度の申請処理が必要となる。
基本、事前にオホーツク総合振興局に対して住所等を申請するだけだ。
現地での申請も可能で、これは怠らないようにしたい。 特例使用制度


ゲートを超えて林道を進む。
エゾシカが屯しているが、
異常に警戒し、我々には注意を払っていないようだ。 林道


羆との遭遇である。距離は40m程度。声で威嚇し手を叩くが動じない。
人慣れしているのか、一瞥しただけで蟻を食べるのに夢中だ。
これは撤退だ。静かに後ずさりし帰路に向かう。 マウスon 羆


日を改めての再再訪である。
今回は時期をずらしたこともあり、前回ポイントまでは羆の痕跡無くアクセスする。
やはり7月(299件)の遭遇率が高く、8月(91件)以降にはその30%とかなり減少するようだ。 再訪


登山道入り口には、羆の出没情報が掲示してある。
直近の出没は2週間前、場所や日時などを書き込み、
登山者同士が情報をシェアするシステムだ。 出没情報


ここからは本格的な登山道を登攀する。
明治11年〜14年にかけて、海岸までの2.6qの道のりを、
硫黄を担いで運んだその名残の道だという。 登山


ミズナラの森での第一遺構は当時のものと思われる割れた皿だ。
慶応時代(1867)、山には飲料水が無く泊まる場所もなかったので、
人夫は早朝に登って、背負えるだけの硫黄を採掘し下山した。 皿


登山道脇には多種多様のキノコが生息している。
日帰りでの採掘は、日の長い時期しか行えず、
効率が悪く、かさむ運賃が経営を圧迫した。 マウスon キノコ


足元にはキンクしたワイヤーが埋没している。
昭和当時の鉱区図を見ると、付近に『鐵索』の文字があり、
恐らく索道の部材の名残であろう。 マウスon 鉱区図


森は一部開け、溶岩流の痕跡のような場所がある。
明治期に4度、昭和期に33度の噴火の記録がある。
この先、噴火の痕跡の色濃い場所に到達する。 溶岩流


標高450mを超えると森は去り、急激に視界が広がる。、
硫黄山を望む噴火跡の稜線だ。
遠くには噴気も見える。 硫黄山


望むのはカムイワッカ沢、湯の滝の上流域である。
昭和11年の大噴火では、この沢すべてが硫黄で埋め尽くされたという。
新聞の見出しには『一夜に50万圓 北見知床に俄か景氣』とある。 カムイワッカ沢



付近は一気に火山地帯の様相に変化する。
当初はまばらな硫黄鉱石を背負って運搬していたが、明治15年からは登山道を整備し、
『鉱夫用地車』が導入され200s以上を一度に運搬するようになった。 マウスon 鉱夫用地車



付近はミズナラからハイマツの群落へと植生が変化する。
冬季の採掘は行われず、
作業は5月から10月までの6か月間行われた。 ハイマツ


ハイマツの間の岩場を行く。
付近の登山道には人工の石垣があり、
かつての運搬道の痕跡だと思われる。 制御盤


一部登山道を離れて、鉱山跡の痕跡を探す。
当時は飲料水の確保に不自由し、野菜も不足していたため、
鉱夫の間で 「水腫病」ビタミン不足などによる懐血症や脚気を起因とする病気 が流行った。 登攀


カムイワッカ河口付近を望む。
ある年には鉱夫163名中81名が発病し、30名が死亡した。
米飯に麦や小豆を混ぜるようになってからは、栄養失調が改善し発病が減ったようだ。 カムイワッカ


いよいよ巨大遺構、石垣である。
ここはかつての硫黄集積場跡。
詳しく見てみよう。 石垣


朽ちた木材とそれを貫くターンバックルのような部材が腐食している。
明治36年に硫黄枯渇により一旦閉山したものの、所有者は鉱区を手放すことなく、
次の噴火を冷静に待ち続けたという。 ターンバックル


付近には石垣、鉄材、木材が散逸する。
続く噴火は昭和11年(1936)となり、
大量の硫黄成分が海まで流れ込むこととなる。 硫黄集積場跡


秀逸に組まれた石垣も残る。
カムイワッカ沢の河口に設置された鮭鱒の定置網は、流出した硫黄により損傷、
定置漁場は鉱山側が買い取ることとなった。 石垣


硫黄集積場跡には小屋などもあったらしく、
朽ちた木材が帯び重なる。
位置的にはここが第一火口下となる。 木材




海側も望みながら更に標高を稼ぐ。
カムイワッカ沢河口には流出した硫黄を堰き止める石組み、
そして硫黄流出防止柵があったという。 マウスon


多数の硫黄原石が残る噴火跡を登る。
河口高台には運搬リフトの跡が残り、硫黄の積出しも直接海岸で行われ、
海中に流れ出た硫黄は網走に運び製錬を行ったとの記録がある。 硫黄


噴火のリアルな痕跡と今なお噴煙を上げる火口。
山から降ろした原石は河口で釜で溶かして製錬、
船積み後、函館や横浜・東京に輸送された。 噴火


溶岩流が色濃く残存する新噴火口付近。
滑らかな表面と網状模様、パホイホイ溶岩かもしれない。
硫黄臭の中、噴気孔に向けて登る。 パホイホイ溶岩


方々で蒸気の上がる噴気孔付近に到達した。
かつては知床半島を船で廻ると、海が急に黄色く泡立ち、
何か異変があったことを物語る領域が知床硫黄鉱山の事業所であった。 噴気孔


留意して噴気孔に最大限接近する。
不定期で異臭の蒸気が噴き出ている。
相当高温のようだ。 マウスon 噴気孔




小さな噴気孔を利用して温泉卵の調理だ。
生卵をネットに入れ、
蒸気の吹き出す穴に落とし岩石で蓋をする。 マウスon



約15分で出来上がった温泉卵。
地熱の蒸気を利用して完成した、
少し硫黄臭のある卵だ。 温泉卵


湯の滝付近では採掘された硫黄がトロッコで斜面上部に運ばれ、
漏斗の斜面に落とされた。
その後、索道を経由して海岸へと運ばれた硫黄はやがて火薬などに加工された。 マウスon トロッコ








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