倒れた主選原炭ポケットの光芒



白糠町は北海道東部、釧路地方南西部に位置する。
気候は冷涼で、特に冬は強い北西風にさらされるが、晴天が多い。
白糠漁港を中心とした昆布漁、沖合漁が基幹をなし、企業の誘致も盛んだ。 庶路


街を斜めに横切る、
如何にもの廃線跡の延長の林道を進む。
街から炭鉱跡までは直線で1.5km程度である。 廃線跡


まずはここから7km北上の 本岐炭鉱専用運炭軌道の跡を追う。 。
スイッチバックで分岐した、その隧道跡だ。 隧道跡


坑口は大きく、奥は崩れながらも、
北坑口の明かりが差し込んでいる。
本岐炭鉱には選炭施設がなく、本坑へ搬入していた。 坑口


坑道内は奥から流れ込んだ大量の土砂が堆積している。
足元は締まっているものの、
なだらかなスロープのように奥に行くに従い傾斜している。 坑道


埋没地点は辛うじての隙間しかない。
今回は庶路側の調査のため、
ここで折り返す。 埋没地点




付近には貯炭場のようなものがあったようだが、
当時は163戸の社宅と、1124戸の鉱員用住宅があったという。
これは装置の設置されたその名残のようだ。 基台


これは電気に関する施設のようだ。
かなり新しい建屋のようにも見える。
内部を確認してみよう。 変電所


内部は火災でも起こったかの様相で、
しかし設備は何もない。
閉山が昭和39年というがその頃に建設されたのかもしれない。 内部


やはり上部の3か所の穴は 「三相交流」同じ周波数、電圧の3組の単相交流が周期1/3ずつずれてまとまったもの のケーブルの入力場所だ。
この建物は変電施設で間違いないだろう。
当時、付近には5本の軌道が走っており、それらの関係かもしれない。 三相


南には他の建物も散らばる。
付近にはかつては立坑も存在し、
扇風機室等も点在していた。 マウスon 立坑


建物にはすでに屋根がなく、
その部分だけが木造だったかも知れない。
付近には『錦洋寮』という寄宿舎も存在したようだ。 屋根


間には風洞の設備のような建物がある。
鉱床図ではこの建物は長く続き、
立坑への通気を担っていたようだ。 風洞



風洞の内部には回転扉が装着された痕跡がある。
ここで通気を制限したり、
密封したりしていたのだろう。 風洞


風洞の後端の一角である。
ここは扇風機が設置された場所かもしれない。
ここには配管やバルブも残る。 扇風機


腐食した配管が残存する。
ビクトリックジョイントで接続された、
100A程度のくびれた配管だ。 配管


廃墟が続く。
病院の存在もあり、医師4名、薬剤師1名、看護師12名と
そこそこの規模だったようだ。 廃墟


南へ進み壊れた廃橋を渡る。
信和会館という集会所もあり、
これは昭和16年建設、700名収容の巨大なものだった。 廃橋


すこし廃道を進むと、
平屋の倉庫らしき建物がある。
ここまでくると軒を重ねる社宅からは約400mと少し離れる。 油倉庫


そこは『油倉庫』の文字が辛うじて残る建物だった。
住宅街から隔離された倉庫内は、
屋根が抜け落ち、もう何もない。 マウスon 内部


11月の終わりという時期が良かったのか、
沼地には珍しく、氷の結晶が見られた。
早朝の探索ならではの光景だ。 雪の結晶




付近には更に遺構が散発してきた。
このような水槽や煉瓦の施設もある。
鉱区図では事務所、安全灯室の記載もある。 水槽


不思議なカマボコ型の施設もある。
片側は煉瓦で組まれ、扉は小型だ。
恐らくコンプレッサー室のようだ。 マウスon 内部


丘を越えてさらに南へ進む。
その向こうには巨大な遺構が見える。
いよいよ選炭施設だ。 丘


その奥に存在したのは倒れた主選原炭ポケットであった。
意識的に倒されたのか、
巨大な体躯が横たわっている。 ホッパー




ポケット下部から秤量器室らしき建物を望む。
RCの劣化が激しいが、
コンクリートが剥がれ落ちるような状況は無い。 マウスon 選炭施設 S26


木材も一部辛うじて残る。
主選機、再選機などだろうか。
連続して遺構が並ぶ。 マウスon 


特粉炭ビンや秤量器室らしき遺構がある。
各装置はベルトコンベヤーで接続されていたようだが、
今はその痕跡はわからない。 マウスon 


ローラスクリーンなどで初期選別後、
ブレーカーで粉砕、鉄片除去、粒度を均一化して、
主選機で水選、石炭が泡に付着しやすい性質を利用してより分ける。 マウスon 




再選と特粉、中塊などに選別し、
それぞれの積込ビンに搬入する。
出荷先に向けて、時にはブレンドして貨車に積込む。 マウスon 


この最も巨大な遺構が最終の積込ビン(ホッパー)であり、
上部に選別精製完了した石炭をストックする。
隙間には巨大な蜂の巣がある。 マウスon 蜂の巣


この下部に貨車が入り、
上部にストックした石炭を放出して貨車に積込む。
石炭約200tのストックが可能だ。 マウスon 


ここからは北西に進む。
資料の左端に載る、坑口の探索だ。
GPSを利用し、かつての廃線跡らしき跡を遡る。 輪車路


現在の地形図で推論した沢に分け入る。
右岸左岸と探す中、
コンクリートの遺構の発見に至る。 遺構


諦めかけた矢先、かなりの斜面上に、
坑口の発見である。
どうやら斜坑のようだ。 坑口


水没した急角度の斜坑である。
おそらく通気の斜坑で、
その奥は永久に計り知れない。 坑口


白糠町における石炭産業の消滅は基幹産業のうちでも最大の産業の消滅であり、
従属産業・関連産業も含めるとその閉山処理は町勢をも揺るがす事態であった。
その中で五社の新規企業誘致を実現させたことは新たな道を切り開いたと言える。 坑口






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再選原炭ポケット
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