水力採掘、夢の跡
美唄市茶志内町は市の最北部に位置する。
空知中核工業団地が造成され、
昭和27年のピーク時には7,000人を超える人口であった。
道央自動車道を潜り山中へ進む。
この時期は残雪で押された藪の奥まで視界が効き、
ベストシーズンかもしれない。
少し進むといきなりの遺構である。
昭和後半の炭鉱跡らしい遺構だ。
さらに接近する。
これは積込施設の遺構のようだが、
劣化が激しく機構は不明だ。
仕向け先は紙パルプ、甜菜糖工場向けが多かったようだ。
鉄筋にRCがぶら下がる廃墟。
昭和30年代には坑外職場の分離統合がなされ、
余剰人員を坑内に回したり、合理化施策がとられていた。
徒歩ルートに突然の穴である。
うっかり填まれば転倒や転落の危険がある。
一歩一歩慎重な行動が必要だ。
構造物内部の梯子の安全を確認後、登坂する。
本坑は炭層が薄く、
鉱命の延長を目指して、水力採掘のテストが施工された。
コンクリートが劣化し、鉄筋が露出している。
当初は削岩機と呼ばれる圧縮空気による振動打撃を利用した、
ピック、ドリフター、シンカーなどを用いて坑内の岩盤を破砕していた。
ポンプ室のような遺構もある。
坑内に高圧ポンプのプラントを設け、
「切羽」(きりは)坑内採掘の最前線
まで配管にて高圧水を導いた。
その圧力は7〜9Mpa(70〜90kgf/平方cm)もの高圧であった。
内部には何もない。火薬庫にしては防爆性が低いようだ。
高圧水を炭壁に噴射、破砕する斬新な方法で、
破砕された石炭は余剰水とともに、自然流下、脱水後コンベアーにてポケットに貯炭した。
遺構は劣化が著しい。
この水力採掘方式により昭和40年以降、
出炭量、一人当たり効率においても好成績を上げることとなる。
廃祉の前でスノーブリッジである。
見た目は残雪だが、内部が空洞で踏み抜くことがある。
抜重した上で、地形を読み取る必要がある。
廃墟は続く。
水力採掘による掘進が進んでも、
炭層の薄化は変化なく、設備投資による威力が発揮できない結果となる。
地形図に載らない池がある。
閉山協定までは、労組の交渉が長引いたようだが、
最終的には会社側との妥結に結び付く。
昭和42年4月1日、閉山報告会、
そして坑口閉鎖式、閉山式が執り行われ、
企業化から19年、創業から50年の歴史に終止符を打つこととなる。
冒頭で解説した水力採掘に伴うスラリ−ポンプであるが、
泥状のスラリーは輸送のために石炭を粉末化して水と混ぜたものである。
液体と半固体が混ざったスラリーは専用のポンプで吐出される。
新開発のスラリ−ポンプは高クロム鋳鉄のインペラ(羽根)4枚を採用し、
軸受やケーシング、インペラの耐摩耗試験を稼働運転中に行う予定であったが、
採用から1年間で閉山、耐用年数の試験も行えない悲しい結果となってしまった。
ところがこのエピソードには後日談があり、
この余剰ポンプは長崎県端島(軍艦島)の坑内排水用に転用され、
5,000時間以上の稼働をもってそのスペックの高さを誇示したという。
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