燃ゆるヤマ
2014年現在の夕張市の人口は10,000人を割る。
1960年(昭和35年)ピーク時の人口は11万人。
当時、東京と同時期に映画が封切られ、テレビの普及率も高かった。
夕張本町の東側、東山中学校跡から山中へアクセスする。
かつては炭住が林立していたようだが、
現在は静かな森だ。
林道を歩き、南東へ向かう。
今回はミラーコンパスを多用して
道なき道を登るつもりだ。
林道脇の山中には大きな石垣があった。
何かの施設があったのかもしれないが、
今となっては解らない。
ここからは熊笹の茂る激藪に入る。
北面の谷下に何か遺構があったが、
時代的に最近の施設らしい。
熊笹の茂る激藪を進む。
方位だけを確認し、もう少し南東を目指す。
鹿道でも見つかれば楽そうだが・・・
藪の向こうに廃祉が見えた。
何か危険物の貯蔵施設か、
当時の遺構を後に流用したようだ。
方位だけで進むと、
更に藪が激しくなった。
しかしその先に突然・・・
斜面の始まりに、ブロック積みの遺構が見えた。
1/3以上埋没した坑口だ。
どうやら煙道か排気坑らしい。
入坑は無理だが、内部を覗き込む。
長手積みされた煉瓦が煤で汚れている。
そして今なお熱気がのし上がって来ている。
そしてここからは斜面を登る。
すこし藪が減ってきたようだ。
そして異様に熱い。
ようやく到達した第五斜坑だ。
急に刈ったように植生が引くと、
立派なポータルが現れた。
坑口は煉瓦の小口面が3段重なったアーチが組まれている。
すこし煙の臭いがあり、
熱気が噴き出している。
なんとか潜り込んで奥を目指す。
呼吸できないほどの熱気が襲ってくる。
数m進んで慌てて退散する。
奥は埋没しかけているが、熱風が吹いてくる。
すぐ北面には同じ煉瓦の別の遺構がある。
火薬庫か危険庫のような、
建物のようだ。
付近の斜面からは水蒸気混じりの煙が上がり、
圧倒的な地熱だ。
90年を超えて、地中深くで今なお燃えさかる。
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