選鉱所のピークへ
上ノ国の石崎漁港には港の岬の下部に船が通る隧道があり、
昭和58年には封鎖されたが
長さ45mの海のトンネルは世界的にも珍しい。
(現在は接近できない)
かつては1,500人が暮らす鉱山街であった早川市街地には、
選鉱所を望む位置に鉱山集落があり、
大きな木造の小学校も残存していたが現在は無人の原野と化している。
まずは小砂子川沿いに遡上し、
圓山鉱山方面へ向かう。
途中には中外鉱業所 裏の沢坑付近の選鉱受入貯鉱舎がある。
近くの斜面には50m坑の廃祉。
本坑は210m坑と斜坑でつながり、
斜坑底のタービンポンプで揚水している。
内部はすぐに直下へ折れ曲がり、
疎水坑としての機能を果たす。
すこし登るとそこには八十米坑。
こちらは大立坑を介して、
-40〜180m坑までと繋がる主要運搬坑道だ。
内部は数mで密封され、
そこから鉱水が噴き出している。
かつては3tバッテリーロコが行きかっていた。
最上流の圓山鉱山付近に道は既に無く、
ポンプ室が残存する。
銅・亜鉛を目的とした五坑の記録があるが現在は接近できない。
内部にはうず巻ポンプや
ゲートバルブが残存する。
鉱水を導く長いラバーホース。
脇を抜けて山中に入る。
奥には干乾びた沈殿池があった。
表面は完全に乾いているが、
踏み込むと危険かもしれない。
奥には白い2階建ての建物があった。
鉱山事務所のようだが、
内部はがらんどうで何もない。
小砂子川を跨いだ対岸には、
鉱水処理施設が残る。
石崎川との合流点付近まで下る。
そこには「指差点呼」の看板が残存する、
桜咲く鉱員事務所のような建物がある。
北西の斜面に位置する選鉱所に到達した。
Ag,Pb,Znは55t/日。マンガン鉱は100t/日を処理できる。
一時粉砕で60mm以下に加工された鉱石は、
38〜12、12〜1、-1mm以下に分離されそれぞれ重選・浮選に回される。
選鉱所のピークを目指して登る。
湿式磁選機付近だろうか。
道は無く、藪を掻き分けて登る。
重選工場を登る。
最上部から山を跨ぐと、
焙焼炉のある第5堆積場に向かうはずだ。
確認したいのはその選鉱所--堆積場間の連絡だ。
受入貯鉱舎付近に到達した。
ここから焙焼炉方面へ向かう。
付近には隧道や索道は確認できないハードルートだ。
選鉱所の上部から鉱山跡地を見下ろす。
かつては浮選工場やシックナー、廃滓ポンプ室などが犇めいていたはずだ。
今は静かな原野に代わりつつある。
なんとか山越えすると道なき斜面に遺構が現れた。
なんとなくフローコンベヤーのような廃墟にも見える。
この端末を追ってみよう。
そしていよいよレイルのような架台が向かう。
下流には焙焼炉があるはずなので、
このレイルの先にキルンがあるはずだ。
レイルの果てる向こうは少し道が残り、
その先に丸いスレートが見えた。
あれは・・・!。
現れたのは斜面に残存する隧道跡。
但し人道用ではなく、これはコンベヤーの運搬用らしい。
内部を確認してみよう。
隧道内にはH鋼で組まれたコンベヤーが続く。
山向こうの選鉱所から廃滓や磁着物が運ばれてきたのだろう。
更に奥へ進む。
廃隧道を進むとどこまでもコンベヤーは続く。
この先がおそらくロータリーキルンで、
流動性のある泥状の廃棄物を処理していたはずだ。
制御盤が残存している。
奥に光は見えず、
どうやら閉塞しているらしい。
運搬坑道としての本坑は、
やがて50m程度で崩れ、閉塞している。
この先にキルンがあるはずだがそこまでは進めない。
再び坑口付近へ戻る。
山向こうの選鉱所までは、
残念ながら抜けれなかった。
斜面をトラバースすると、
マンガン鉱時代の木造の貯鉱舎に接続した。
ここから第5堆積場だ。
少し下ると木造の貯鉱舎の全貌が見える。
下部からではなかなか見えないが、
間近で見るとかなり大きい。
マンガン鉱時代は品質向上のために、積極運用された焙焼炉。
そして亜鉛鉱時代には棄てられ、廃滓の堆積場となってしまった。
二度棄てられた炉だけがいつまでも残る。
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