設備がない事での操業維持



雄大なオホーツク海を望む美しい流氷の街、紋別。
流氷と並んで有名なのが新鮮な海の幸。
漁業の街として市街地公園にはカニのモニュメントがある。 紋別港


旧名寄本線小向駅から山に入る。
平成元年(1989)に全線廃線となった名寄本線を含め、
この時期の北海道の廃止路線は1,400qにも及ぶ。 小向


鉱山跡手前の八十士の牧場付近には、
開拓農家とサイロが残る。
こんな山深い場所まで開墾されていたことが驚きだ。 開拓農家


鉱床図からプロットした地点へ向けて登坂する。
この雰囲気では発見は困難かもしれない。
昭和20年(1945)の終戦時にも一時、休山したようだ。 鉱山跡


植生のない一角もある。
当初、2名で探鉱を進め、やがて1号坑、2号坑で鉱脈に達した。
ここには設備は発見できない。 鉱山


奥へ進むも、痕跡は発見できない。
昭和17年からは 「小坂精錬所」(こさかせいれんしょ)足尾・別子と並ぶ秋田県の三大銅山の一つ へも売鉱を継続した。
ピーク時の昭和18年には金31.7g/t、銀85g/tを産出する。 山中


更に山中へ進む。
戦時中の金鉱業整備令施工後も、
前述の 「転換」金・銀鉱床⇒珪酸鉱供給鉱山 により稼働を続けた。 杜


小川の最上流域まで来たが結果遺構は発見できなかった。
戦時中、廃止対象とされた際、
設備がない上に品位が優秀ということが操業継続の引き金になったという。 最上流








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杜

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