小樽では珍しい架空索道の道
小樽の海を臨む。
かつて選鉱所は小樽市天神にあり、
赤井川村の採掘現場から約4kmの
「架空索道」支持物の間に張ったロープに搬器を吊るして人や物を運搬する装置
が存在した。
まずは天神付近の選鉱場跡を確認する。
鉱石は軟質で細砂状になりやすく、一般の選鉱場のように、
順次高所から重力に従って、鉱石を流しながら処理することができない。
タンクのような部材も朽ちている。
鉱石はローラーミルにより粒子表面の水分を瞬間除去しながら
微粉末化される。
浮遊選鉱は鉱品位が55%以上と高いため、
粒子自体の相互干渉があり、品位が高すぎると選鉱能力は低下する。
変化する給鉱品位によって選鉱量を抑制するのは熟練工の仕事だったという。
天神浄水場付近から林道を遡る。
林道にはゲートがあり一般車両は通行止めだ。
まずは南部へ向かい架空索道との交点付近を調査する。
林道の脇には名もない滝がある。
架空索道には必ず支柱が存在するので、
その痕跡を確認する。
林道の末端には不思議な荒れ地が存在し、コンクリートの塊がある。
今は無き、昭和11年建設の架空索道上のラインとは一致するが、
ここがその痕跡かどうかは不明だ。
架空索道による選鉱所への搬送は、
搬器数を分割して、品位85%以上の上鉱と55%程度の下鉱に分別し輸送した。
下鉱は直接浮遊選鉱がかけられる。
再び下山し、雨乞の滝方面を通過し穴滝方面へ向かう。
大きく迂回し旧小樽峠を超える道だ。
標高130mの奥沢水源地から峠までが6km、鉱山跡まではそこから更に3kmだ。
峠付近は視界が広がる。
送電線の鉄塔と交差する。
これは地形図上でもいい目印になる。
旧小樽峠の分岐だ。
左が目指す松倉鉱山、右は赤井川常盤ダムだ。
この道は明治期に完成していたようだがある意味軍事道路の一端の担った道だ。
いよいよ林道が荒れてくると北方にちらほら見えるのが松倉岩だ。
松倉岩はクライミング目的で訪れる方もいらっしゃるようだが、
当時の鉱山からするとそれは御神体であったらしい。
松倉岩への路が北へ向かうと鉱山への林道は廃道となる。
鉱山跡へはこのまま東へ600m。
いよいよ廃道となる。
とうとう道の痕跡は皆無となった。
ここからはピンクテープを巻いて遭難に備える。
実際はオレンジ色で、他のテープとの混同を避ける目的で使用している。
辛うじて道の痕跡のようにも見えるが、
藪が覆いかぶさり、ほぼ完全廃道だ。
藪の生える方向に逆らわないように進行する。
GPSによるナビゲーションシステム、ナブユーとガーミンだ。
事前に地形図上にプロットした廃坑へ導いてくれる。
鉱山跡探索の3種の神器「GPS」「LEDライト」そして「古地図」。
藪の奥に何かある。
スレートのようだ。これは紛れもない鉱山跡の証人であろう。
主要坑道としては一坑・二坑・西一坑の三坑があったようだ。
建物の跡かスレートの部材だけが残る。
この奥の採掘現場から小樽天神の選鉱所までが索道、
塊鉱は大阪堺の本社に送り、製品となる。
この先は完全廃道だ。
ここから1,000km離れた化学会社が採掘から製品化まで一貫して行ったことが驚きだ。
廃坑から40年経過のこれがその鉱山道路だ。
そして廃道に横たわる、木製の電柱だ。
GPS上ではすでに鉱山跡に到達しているが、
25000分の1地形図で1cmは250m。それぐらいの誤差は出てしまう。
ここからは笹薮の海を進む。
マダニに注意だ。地形図ではこの先に荒れ地があるはずだ。
もう少し進んでみよう。
笹薮を抜けると急に視界が開ける。
ここは紛れもなくかつての建物跡だ。
深い山中に広大な荒れ地、なんとか到達した。
荒れ地には植生が無く、
小さな、しかし存在感のあるフランジの遺構だ。
ここに産業があった証だ。
他にも酷く腐食したピンのような部材がある。
最終的には従業員55名程度が従事していたようだが、
純度90%以上の重晶石には大きな価値があったようだ。
かなり広大な敷地を有していたようだ。
この奥に坑口があるかもしれないが、
それは発見できなかった。
更に奥では不思議なスタンドのような部材を発見した。
いちばん深い二坑で延長120m。
このヤマのどこかにその坑道が眠っているのかもしれない。
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