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さくら道ウルトラマラソン応援サポート記

さくら道マラソン十六年

「マラソン」と言っても、私はランナーではありません。
「さくら道マラソン」は、当HPにご紹介している二つがあります。
何れも「ウルトラマラソン」と言われる途方もない長距離、しかも一人で昼夜を通し走り抜きます。
一つは「さくら道国際ネイチャーラン250K(36時間)」今年で十六回になりました。
もう一つは「さくら道ウルトラマラソン270K(48時間)」同時に始まりましたが十回で終了しました。
どちらも、白鳥町の国鉄名金線車掌、佐藤良二さんの「太平洋と日本海を桜でつなごう」という夢の「さくら道」を名古屋から金沢まで走ります。
私が、ランナーでもないのに「さくら道マラソン」に関わるようになった経緯は既に書きました。
十六年も続けて応援、そしてサポート「ウルトラ270K(七年間)」した動機は単純です。
「一宮裁判所佐藤桜」は、私の家から五分(約150メートル)の所に有り毎朝見ているからです。
裁判所の前(西)には、旧国道22号が通り、それが名金線のルートでした。その西に「真清田神社御旅所(富士三社・秋葉社・津島社)」があります。私は三十五才(1971)から、ある僧侶に勧められ毎朝七時に出掛け参拝、今も続いています。
佐藤さんが桜を植え始めたのは、名金線が全線開通した(1966)という事ですから、その時、既に桜植樹は始まっていました。名古屋〜岐阜間に桜を植えられたのは(1974)ですが、私は知りませんでした。その三年後(1977)佐藤さんは亡くなりました。
NHKが「桜紀行・もう一つの旅」を放送したのは、その七年後(1985)で、それを見て、初めて私はその事を知り機会を見ては周囲の人達に伝えていました。さほど大きな反応はありませんでしたが「さくら道ネイチャーラン」が始まり(1994)映画「さくら(篠田三郎主演)」の製作上映などで大きな反響が起こりました。
私は「ネイチャーラン」の第一回から裁判所前で応援の声掛けとビデオの撮影をしました。
このレースは、国際選抜で参加資格が厳しく、給水などのエイドは5K毎に主催者(現在・郡上市)設置で一般は参加不可です。第二回は朝から「土砂降り」でした。寒々した気温の中を私は一人で見送りました。第三回は東海TVが全コース取材。「いのち咲く道(50分)」として放映されました。後述の吉越夫妻と沖山夫妻の激走をメインに構成されたドキュメントです。この年は「蛭が野峠」では気温零度、吹雪が舞いました。この頃から横断幕を掲げて応援、今に至ります。
名古屋城から18Kですが数人程のランナーがそれをバックに記念撮影をして通過していきます。
このレースは非常に過酷で二つの峠越えと、昼夜・高低・気温の極端な変化で体力・精神力の消耗を経でゴールに達します。49のエイドチェックで、タイムオーバーになると非情なリタイア通告が宣告されます。
十六回ともなると、ランナーの顔触れも大きく変わります。第一回の時、四十才であれば今年は五十六才になるのですから姿も体力も変化は当然です。第一回から連続出場されている方は、私の知る限りでは三人程です。その中に「吉越さん夫妻」が居られます。夫妻は、昨年迄、十五回連続完走という、これかも誰も成し遂げられない偉業を達成されました。十五回の内には、妻のみや子さんの直前の事故の後遺症や、レース中の体調不良による時間内ゴールのピンチがありました。平成十六年は夫の修さんがタイムアウト2分前という薄氷を踏むゴールがありました。この時は、既にゴールしていた、みや子さんが兼六園入り口まで出迎え手を取っての佐藤桜タッチという感動の場面がありました。
その記録は今年途切れました。修さんの膝の故障で200K地点前で断念。みや子さんは大丈夫だったのですが夫妻共にリタイアされました。
大会実行委員会は「今後の永久シード権に値する」と名誉を称える発言がありました。
連続出場の「越田さん」は、緻密な計画と医師という体調管理のプロで「日本縦横断」や「アメリカ大陸横断」という偉業の経歴の方ですが、さすがにこのレースは計算を超えた天候不良や計算の出来ないアクシデントが発生し二度のリタイアがあります。十六年間完走者は一人もいません。
夫妻で十五年連続完走という事がいかに素晴らしい事かという事は表現しようのない賛辞に尽きます。連続ではありませんが、お馴染みの常連の方が十人程居られます。十六年の間には24時間を切る驚異の最短記録もあります。今は参加されない多くの印象に残るランナーが思い出されます。
今年は、道路を跨いで木に縛る横断幕を掲げる為の梯子昇りが、私には危うくなったので長い棒に両端を輪にして通し木に括り付けました。これで今後も続けられます。
第一回は三十人ほどのランナーでしたが今年は百人でした。いつまで続くか。いつまで応援出来るかわかりませんが、又来年という事になります。
第一回からのレースは私の断片をはじめ沢山のビデオ記録が保存してあります。

次は「さくら道ウルトラマラソン270K(48時間)」の七年間の裁判所前(27.3K)の300人を超えたランナーの為の、エイドステーションサポート記になります。

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