那古野神社宵祭り 平成十七年七月十五日 |
那古野祭りは、百人で担ぐ「御神輿渡御」を二回拝見しました。その事は既に別項で書きました。 「車楽」の飾り付けは「宵祭り」に行われ、その日の内に片付けられるので翌日の大祭にはその姿は有りません。 本来は、朝祭りの飾りが有るのですが戦後は消滅したままです。「車楽」は辛うじて戦火を免れた当地、旧茶屋町の物です。宵祭りは未だ拝見していなかったので今年は見せて頂きました。 つい先日「戦前の祭礼」の映像を収録したDVDを永田組組頭さんに見せて頂きました。 それには、昭和初期の「東照宮祭」「那古野神社大祭」が姿が有りました。 私の祖父母や父が昭和十年頃まで住んだ長者町筋の町並みや、祭りに熱中する町衆の姿が有りました。 町には屋根まで届く大笹に提灯が揺らぎ鯱神輿や梵天も見えます。 「那古野神輿」は、大・中が練り、中神輿の屋根には鳳凰が揺れます。 大神輿の迫力は凄まじい勢いで、地面スレスレまで降ろして一気に差し上げます。ド胆を抜かれる情景でした。 かっては、五十三町内の氏子五千三百人の暮らしが有った地域です。母の実家が有った南外堀町は道路拡張で面影も有りませんが、かっては西片端の車楽が飾られた所です。 「宵祭り」に行く前に、そこに立ち寄って見ました。今は「景雲橋小公園」となっていますが今の道路の北半分位まで家があったと思います。 昭和八年の住宅図では景雲橋から土居下までお堀沿いに住宅が立ち並んでいます。 数百戸は有ったでしょう。西区役所もそこに有りました。 景雲橋電停を降りると数歩で家の中というのが電車道に住む人の暮らしでした。 歩道などは有りません。波模様の石畳でした。その名残が五条橋にあります。 その地図では、東照宮・那古野神社の北塀は道路に面していますから、今の歩道までが電車や自動車が通っていたのでしょう。映像ではそれが見られます。 その後、住んだ葵町も新栄町から布池へ市電が通っていましたが、今その場に立つと、とても電車が複線で通っていたとは思えません。 那古野神社では六時から能舞台で神楽太鼓を始めマジックショー・歌謡舞踊・長唄舞踊・日本舞踊の奉納が始まりました。長唄や日本舞踊は私の趣味ですが歌謡舞踊はやりません。 拝見しようと思っていましたが、途中から笹提灯の灯入れが始まったので手伝う事にしました。 頼まれたのではありません。提灯のロウソク立てが細くロウソクが倒れてしまうので困っておられたので手助けしました。一時代前の氏子の子孫の一端として役立ちたいという気持ちも大いにありました。 「車楽」の方は永田組の、元気な、お兄いさん達が見事に半球を製作中。 いずれの作業も八時過ぎには完成。提灯降ろしまでは見届けませんでしたが、明日もあり、地下鉄に乗るまでもないので七夕張子作業中の円頓寺商店街を通って名古屋駅から帰りました。 大祭の「御神輿」の様子はページを改めてお伝えします。 |
今年は境内に笹提灯が二十本程 | 楊貴妃と玄宗皇帝 | 子供神輿二基・獅子が一二三四五 |
六時 奉納 海東流神楽太鼓は曲打ち | 旧茶屋町車楽 | 提灯配置図 |
永田組二番の皆さんは拝殿へ | 七時 提灯の御神灯を頂きます | 真竹に付けた提灯 |
薄暮 | 提灯の竿を挿します | 影絵のようです |
半月が | 奉納舞踊の内 千代の寿 | 飾り付けは半ば |
全景が入らないので中程です | 半月が車楽の上に | 境内の笹提灯にも灯が入りました |
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