平成十七年の「那古野神社大祭」が例年通り、七月十六日挙行されました。
今年は前日の「宵祭り」と「大祭」の完全取材を考えました。昨年は三十五度という猛暑に出そびれました。
幸いと言うか、昨年の「神輿渡御」の一部始終を記録したDVDを永田組の方から頂くという事になり有り難く拝見しています。
永田組は昨年から組頭さんの交代が有ったのですが、事情が有り先代さんと若手の方との連携で見事に勤められました。
今年は晴れて新組頭さんの溌剌たる登場となりました。
私は神社、氏子、地元の方とは懇意ではないので、ご紹介に不案内があります。
失礼がありましたらご指摘下さい。
さて、「宵祭り」は既にご紹介しましたので「大祭」の見聞録に致します。
出がけに「インターネット検索」で「那古野神社大祭」を見ましたら「堀川文化を伝える会」が、9.30、能楽堂集合で、「名古屋城下歩きと那古野のお祭り(暴れ神輿と掛け声)」のテーマで、御園橋〜朝日橋〜五条橋〜四間道〜那古野神社の3Kを正午まで行うとありました。
この会は以前から私も関心があり知っていますが、まだ参加はしていません。
十二時に私が那古野神社に行った時には拝殿前で終了の様子でした。御神輿も見学されるのだろうと思っていましたが年配者が多く、殆ど散開してしまいました。
数人、若い人が残りましたが、聞いてみると午前中でバテてしまったという事でした。
代表の沢井鈴一さんのレポは「名古屋のまんなかなかなかNET」に連載中ですが、相当なボリュームで見聞にもスタミナが必要です。
先日、東海高校で拝聴した「熱田神楽」が能舞台で演奏されていました。以前撮影のビデオにもあったのですが気が付きませんでした。「知らぬが仏」無知は無能というべきです。
戦前は十六輌有った見舞車の一つ「二福神車」の、お囃子奉納が戦後初めて行われました。
一つ一つの積み重ねが今後の発展に繋がって行くでしょう。
今年は担ぎ手が百人を超えました。やはり余裕が感じられます。パワーも上がったようです。
昨年は八十人だったので余裕が無く、桜通りの二周目は腕が下がったと聞きました。一昨年は八十七人で大神輿、その前は七十八人で中神輿でした。昨年から変わったのは担ぎ手に若い人が多くなった事です。
年配の人が適当に居られるのも良いので、担ぐのは大変ですが付き添われるのも良いのではないでしょうか。
これは人数に余裕が有っての事です。一昨年は、かなりキツかった様ですから、もう充分だと思われたかもしれません。
神輿渡御の様子は後文で。 |