那古野神社神輿渡御 平成 14 .7 .16 |
台風7号の接近で今年も実行不可能かと思われました。 午前 8.00頃、東海沖を通過、名古屋は横殴りの豪雨に見舞われましたが、その後、急速に天候回復。 9.30のTEL問い合わせでは未定でしたが10時過ぎに実行決定。三年ぶりに行われました。 大神輿は百人の担ぎ手が確保出来ず、中神輿と女神輿の渡御となりました。 その他に子供神輿が二つと獅子が五つあります。子供達は帰路、錦通りから参加します。 後文へ |
大神輿、百人以上の担ぎ手が必要 | 大体 幅2M、長さ10M (私の歩測では) | 渡御出発の祝詞奏上 |
祓い神事 | 総代挨拶 三年ぶりを強調された | 道行中、お神酒は無しだそうです |
神事の無事完了を祈って 口に含んだ、お神酒は足に吹きかけます |
参道を三回往復後、いざ出発 | 担ぐ神輿は中型だが七十人は必要 |
錦通り交差点、信号止めて三周 | 差せ、差せ・・・。 | 掛け声はエイ・チー、エイ・チー |
ウオー | 御贔屓の接待前では三回差し上げ | バケツの中は? |
若宮神社では総代さんのお出迎え | 神輿到着 三時(九十分の道行き) | 男女神輿の奉納 |
三回行きつ戻りつの練り | 差し上げ | 法被の下はこれが正装!晒腹帯と細帯 |
名古屋の三大祭(東照宮、若宮、那古野)は太平洋戦争による空襲の為、建物、山車などその殆どを失い昔日の姿はありません。
然し、尾張徳川家の繁栄の証である、祭の片鱗でも窺うことが出来ればと思っていましたが、やっと神輿渡御が見られた事に納得しています。
大神輿が見れなかったのは残念ですが、中神輿でも、かなりの人数が担いで天下の大道交差点を平日交通規制して三回まわるのは大したものです。大神輿はこれの二倍の大きさですからチョッと度肝を抜くでしょう。名古屋の警察の方は祭りに、おおらかです。
本町通りに駐車している商用車まで退けてくれるんですから、郷土愛が有るというか、歴史認識を尊重されるのか文化的です。
較べては悪いですが、私の関わる某市では、信号優先、祭りの飾り馬が交差点で三回周ろうとしたら、信号が替わり、祭頭が警察に羽交い絞めされて除去されてしまいました。
彼は憤慨して来年からは、もう参加をしない旨、抗議文を各機関に告知しました。
こういう事も祭の衰退に拍車をかけます。祭に関する政教分離の解釈に、偏見を持つ地域に伝統文化は育ちません。
さて、神輿の担ぎ手頭がどうも新出来町「西之切」の人らしいので、居合わせた「きむてつさん」に「あの人、新出来町の人じゃない」と聞いたら「この神輿は西之切の人達の仕切りで、足りない人を公募してるんです」という話。
私の知人のK君が参加していたので聞いたところ、アルバイトの諸君も居るとか。
とにかく地域氏子衆の減少とビル化、かっての旦那衆や芸事の師匠、社交の為の飲食街は様変わりで、祭りも難しくなったんでしょう。
まあ、とにかく三年待って見られた「神輿渡御」。次は、いつになりますか。
車楽などの詳細は「尾張の山車祭り」に詳しいので、そちらを御覧下さい。
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