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大山車祭り

大山車祭り

十六日の「大山車祭り」は「地元町内出発」から「千秋楽」までが予定通り運んでも十三時間。百年に一度と言っても、余程、体力と気力が伴わなければ同行できないでしょう。
若宮から名古屋城への本町通り十三輌の山車運行は二度と見られない壮観です。
前日十五日宵「大須山車」を、仁王門通りから「ふれあい広場」の、からくり、お囃子を拝見。万松寺の前夜祭オープニングイベントの、花魁登場、河村市長のハッパまで見ていましたが、式典は、まだ続きそうなので、大須観音〜浅間神社までは行かずに帰りました。行きがけに通った「御園座」では、顔見世興行の昼の部は「旭輝黄金鯱鉾」。代わって夜の部開場で大勢の人だかり、帰りにも通りましたが「満員御礼」が出ていました。

連日の祭り見物は、私の体力では、とても長時間は無理なので「東照宮」到着の時間を見計らって行きました。折しも「緑区山車四輌」が、本町御門に進行する所。
他の九輌は毎年の「名古屋まつり」で見る事は出来ますが「緑区山車」が再び名古屋城内に入る事は、いつの日かわかりません。「これを見逃してはならぬ」と、能楽堂前駐車場まで随行。整列する所まで見ました。
琵琶演奏家の北川鶴昇さんから頂いた「正調名古屋甚句伝承会発足記念演奏会」。
招待状が午後二時から能楽堂で開催。二時を過ぎていましたが、終了四時二十分という事でしたから三時頃入場と思っていましたから、その前に「東照宮」へと思いましたが時間が少なく「能楽堂」へ入りました。
これが予定より早く三時五十分頃終了。北川さんと話しながら「丸の内」地下鉄入り口で別れ、私は「長者町」へ。後から気が付いたのですが「緑区山車」の名古屋城入場は四時という事なので、頭から無理と思い込んでいましたが、直行すれば城門入りが見れたのです。上部を外して入ったという事ですから見逃したのは残念でした。夜再開場で「からくり披露」ですが行くのは止めました。
新聞では翌十七日も「からくり披露」があったという事でしたが、それは知りませんでした。行き違い思い違いが沢山あります。
四時過ぎ、那古野神社前から「福禄寿車」を先頭に九輌の山車が整列している様子は盛観でした。
提灯飾り付け前の休憩中でしたが、九町内代表の拝殿参拝の後、随時提灯が付けられていきました。
鬼頭秀明さんと話しましたが、一週間前の清須での「くつわ踊り」や「大須山車」復活の事もあり「新しいイベントを考えるより伝統の復活が本来ですよね。何と言っても資料など下地が既に有るのですから」と意見が一致しました。
この後、「からくり奉納」の上、名古屋城内に向かうのですが、八時の「千秋楽」までは、まだ時間が多く、この後の様子は皆さんの情報が伝えられるでしょうからそれを拝見する事にします。

ところで、名古屋開府四百年という事ですが、三百年行事を私の祖父(44才)、祖母(36才)、父(4才)が見ています。当時の下長者町4-13(現錦2−20辺り)に住んでいたので、たっぷり祭り漬けになったでしょう。祖母は師匠として芸者衆に常磐津と日舞を教えていたので祭りにも大きく関わったと思います。
百年後の今年、私が見ましたから百年の時を経て三代続けて見た事になります。
今から百年後に、私の子・孫が見る可能性は有りません。

長者町通りに整列した九輌の山車  筒井町 神皇車 出来町
新出来町 那古野神社前 相原町 唐子車
 東町 布袋車 中町 唐子車 西町 神宮皇后車 バックにお城が見えないのが残念


「正調名古屋甚句伝承会」(画像はありません)

「名古屋甚句」については当HPの「名古屋甚句と二十五丁橋」に書いてあります。
これは本来「お座敷唄」で俗曲(小唄・端唄など)といわれる大衆向けの粋な芸に属します。
畏まって唄うと面白みが失われて魅力がありません。もともと芸者衆がお座敷で踊りを交えて楽しんだものだと思います。踊りは、今は「名妓連」のお姐様方のものが絶品です。振付も良く出来ていて見ていて楽しいものです。
今回は「正調名古屋甚句」という事ですが、民謡では前唄から名古屋名物まで唄われることが少ないので、そういう事になったのかと思います。時間としては全曲十分ですからSPレコードに入りきらないという事で省略になったのでしょう。
発表会のプログラムは、初めに、安田徳子講師の「伝統芸能の伝承及び甚句について」が三十分ありました。安田文吉南山大学教授の奥様です。

「男性名取による正調名古屋甚句」
唄二十五人の方が緋毛氈雛壇に正座、長唄のように白扇を手に添え畏まった様子でした。地方(三味線)六人は上手(かみて)です。

「女性名取による正調名古屋甚句」
唄三十四人の方が緋毛氈雛壇に正座、大人数で舞台一杯です。三味線は八人が上手です。
いずれも出演の方かなり緊張気味でした。

挨拶 岡田邦彦会長ですが 代理に副会長 長谷川栄胤氏(御園座社長・邦楽協会会長)がされました。

「師範による正調名古屋甚句」
(舞台面)唄 前段七人 三味線 後上段五人
さすが師範という事で声の張りが違います。皆さん師匠で、小唄・新内・名妓連の方達です。
ここまでは唄のみです。

能楽堂という檜舞台が「名古屋甚句」に合うかは、すこし疑問です。
「正調名古屋甚句伝承会設立記念演奏会」という事ですから立派な会場を望まれたのでしょう。有料千円(お土産付)は建前で殆ど招待と思いますが邦楽協会推薦の人に限定されたようです。
能楽堂の席は七百人ですが入場は五百人位かと思います。

「名妓連による名古屋甚句のおどり」
 踊八人 唄三人 三味線四人 太鼓一人 鉦一人
何度も見ていますが、さすが玄人芸です。洗練されています。
が、「能舞台」という事と硬い雰囲気に場慣れた芸者衆も硬い空気に戸惑った感じがしました。「名古屋名物」になって、やっと柔らかい感じになりましたが出る場所が違うかなと思いました。
「名古屋甚句と二十五丁橋」に歌詞が紹介してあります。粋でくだけた雰囲気のものです。唄う人が楽しめる伝え方をされたら良いと思います。それは真面目な人にはかなり難しい事だと思いますが・・。

名妓連の事務所・稽古場が中区丸の内3に移転しました。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101025k0000e040025000c.html
11月20〜23日 名古屋ドームでの「ドームうまいもんワールド」の特設舞台に出演があります。
なかなか芸者衆を見る機会がありませんから出掛けられると宜しいでしょう。

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