名古屋甚句と二十五丁橋

名古屋甚句に唄われる、熱田の二十五丁橋は神宮東参道を進むと三叉路になり、そこに案内板があります。そこに所在が記されています。
案内板のすぐ左、木立の中に二十五丁橋はあります。

名古屋甚句由来

高札には
「二十五丁橋 尾張名所図会や名古屋甚句で名高く 板石が二十五枚並んでいるところから二十五丁橋と云われ 西行法師もここで休んだと伝える。名古屋では最古の石橋という とあり、脇の石碑には甚句本唄が刻まれ、平成六年五月吉日建立とあります。
もとは旧参道の掘割に架けられていたものを、参道拡張の時、解体され、昭和三十年に現在の位置に復元されたものです。
通行はできませんが、熱田の森の涼しい一角に風情を漂わせています。
たまたま私が訪ねた時、何かの会の帰りがけか、和服姿の御婦人が立ち止まられ、一幅の風景を造られました。
さて、名古屋甚句、発祥はよく分からないようですが、
東海道中膝栗毛の補遣「四編の綴足」(文化十二年 1815)の中で、名古屋城下、宮の宿で唄われていたと記述があります。
明治の初め、大須観音裏に開かれた旭廓の福田屋の「甚鍵」という芸者の、美声と踊りが大評判となり、たちまち広まったと云われます。
名古屋甚句は
前唄「鯉の滝登り」に続き、本唄 熱田の森、続いて、名古屋の城下町の碁盤割、町名を読み込み洒落てみせます。

「正調 名古屋甚句」の全文は、なかなか見当たりませんでした。「二十五丁橋」と「名古屋名物」の組み合わせが民謡(踊り)では定番になっていて本文は埋もれているのが実状です。

私は名妓連を訪ね稽古本を頂いてきました。


正調 名古屋甚句


前唄

恋のやァー こいのこいの鯉の滝登りァ  ナット言うて登るエー

山をヤア 川にしようと コリャ言うて 登るエー

さらばヤア これから甚句を変えて 今のヤアー

はやりのストトコ節でも  エーエ エーエ、来ておくれ

 

 本唄

アーア、 宮の熱田の二十五丁橋で アー、西行法師が腰を掛け 東西南北見渡して

これ程 涼しい 此の宮を たれが熱田と ヨーホホホ アーア 名を付けた

アーアエー トコドッコイ ドッコイショ

アーア 花の名古屋の碁盤割は 都に負けない京町や  竜宮浄土の魚の棚

七珍万宝詰め込みし 大黒殿の袋町  広小路から見渡せば なかなかとどかぬ鉄砲町

次第次第に末廣の 家並みは続く門前町  さても名古屋のヨーホホホ 繁盛振り


と唄い、明治四年、名古屋城天守閣から降ろされ東京の博覧会に展示された金鯱を唄うくだりになります。


アーア、尾張大納言さんの 金の鯱ほこの 言うこと聞けば

アーア、 文明開化の世となりて  高い城からおろされて  咎無い私に縄をかけ

離れ離れの箱の内  蒸気船にと乗せられて  東京までも送られて

博覧会にさらされて  幾十万の人々に  鯱じゃ鯱じゃと指差され、

こんなにくやしいことはない いっそ死んだがましかいな

一人で死ぬのはよけれども  お前と一緒に死んだなら、

人が心中(真鍮)じゃと言うであろう トコドッコイ ドッコイショ


と洒落ている。おわりに、おはやし唄として「名古屋名物」という名古屋弁の唄で終わりとします。


名古屋名物

名古屋名物 おいて頂戴やもに すかたらんに  おきゃあせ

ちょっとも だちゃかんと  ぐざるぜえも

そうきゃあも  そうきゃあも  なんだあも  いきゃすか  おきゃすか  どうしゃあす

おみゃさま  この頃どうしゃあた  どこぞに 姫でもできせんか

出来たらできたと いやあせも わたしも かんこうがあるわあも おそぎゃあぜえも



名古屋甚句を正調で聞く機会は少なくなりました。名妓連の芸妓さんが「名古屋甚句保存会」として唄と踊りの伝統を受け継いでおられますが、戦前五千人程いた芸者さんが、今は六十人程、なかなかお目にかかれない。
なごやまつりアトラクションでセントラルパーク舞台'98年は台風で中止。'99ねんりんピックでレインボーホールに出演があり、拝見、ビデオ撮影できました。
前唄「鯉の滝登り」、本唄「二十五丁橋」「碁盤割」「金の鯱」「名古屋名物」を踊られました。
周囲のざわつきはありましたが、八分間程の熱演で本衣装六人のお姐さんの組踊りはさすがでした。

・・二十五丁橋で ・・・東西南北見渡して ・・・都に負けない京町や
・・・金の鯱ほこのいう事にや ・・・名古屋名物おいてちょうだいもに さすがは玄人芸 粋な引っ込みでした


毎年五月、名鉄ホールでの「名妓おどり」の締めくくりは必ず
「名古屋甚句」と決まっていて、名古屋の財界の皆さんが芸妓さんの舞う後ろで、声を揃えて唄われるとの事です。

余談ですが、私の祖母三代目岸沢式治(昭和三年没)が、明治後期から大正にかけて名古屋常磐津界で盛栄連、浪越連の芸妓さん達(五百人程)と西川流舞踊と共に励んでいた頃は、さぞ隆盛であったろうと思われます。民謡としては「熱田の本唄」に続いて「名古屋名物」が唄われますが、この他にも相撲の横綱を唄ったものもあります。


相撲甚句

アーア ままになるなら 横綱はらせ  アー 廻しに模様は隅田川  百本杭に都鳥

向うの空に富士の山  高く打ち出す回向院  櫓太鼓はテンテンと 音の響きやしののめに

主と地取りがヨーホホホ  アーアしてみたい エー トコドッコイ ドッコイショ


お座敷に、沢山の芸者さんを呼んで「名古屋甚句」を見せて貰うなんてことはとても出来る事ではありません。

イベント情報を注意しているか、「名古屋甚句」を検索すると載っていることがあります。

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