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 文化のみち 04.11.3 


’04.11.3は「歩こう!文化のみち」という表題で開催されました。
サブタイトルは「着物で歩こう!文化のみち・大正ロマンのお屋敷ウオッチング。徳川家ゆかりの地を歩く・プレゼントもいっぱい!」。
スタンプラリーが行われ13ポイントが設定されました。
モデルコースとして、イベント満喫コース(60分イベント時間は含まず)、チャレンジコース(120分)、史跡探索コース(90分)がマップで紹介されましたが何れも13ポイントには達しません。
スタンプ7個でレトロな陶磁器などが抽選プレゼントとの事でしたが早々と無くなったようで、12.00に金城学院に行った時にはもう有りませんでした。
私は13ポイント完歩目的でしたから、時間設定のイベントはパス。それでも三箇所には数十分程居ました。
受付は市政資料館・建中寺・徳川園の三地点。
私は市政資料館を9時スタート。13ポイント目は徳川園で15時頃。スタンプ後に徳川園一周。オープンが前日2日でラリー参加者は半額¥150という事もあり、かなりの雑踏でした。
終日快晴、風も無く絶好のウオーキング日和でした。
「文化のみち」ウオークラリーは’99年が第一回。毎年十一月三日に開催され六回目になります。
私は第一回に参加、一通りのコースは既に紹介してありますが改めて追加紹介します。
この道は、北区の娘家族を訪ねる時、地下鉄「久屋大通り」を下車。30分掛かりますが、わざわざ歩いて行きます。この13日にも往復してきました。
スタートの「市政資料館」から順次紹介します。資料が多いので、ゆっくりロングラン更新になります。

市政資料館
明和高校吹奏楽部のオープニングコンサートで始まりました。朝の逆光で判り難いですが指揮も生徒、ティンパニーも含まれ、四十人程です。曲は以前、消防音楽隊で聴いたものでしたが題名は不明。全く遜色ない見事な演奏でした。
館内展示室では「名古屋市庁舎」「ひと足先にご紹介 旧川上貞奴邸のみどころ」「映像で見る昔の名古屋」「白壁・主税・撞木町町並み保存地区建築物パネル展」他、講演、講座などがありましたが時間が合わずキャンセル。
既に見ているものは飛ばして「映像で見る昔の名古屋」コーナーではビデオ紹介をしていましたが「堀川文化を伝える会」代表沢井鈴一さんがナレーターでは碁盤割り町並みや戦前の名古屋三大祭の解説をしておられました。
展示資料の中に昭和八年の名古屋城周辺の住宅地図が有りました。常時持ち歩くルーペで微細な地図をチェック。
外堀に並ぶ家並みの中に、母一家が住んだ家を発見しました。場所は既に判っていましたが周辺の家並みの状況を確認できました。
現在は外堀の南側は、木立・公園・テニスコートなどで建物は全く有りません。
住宅図では西区役所や南外堀派出所・堀川電鉄・堀川運送株式会社を含む一般住宅が外堀沿いに隙間無く立ち並んでいます。私の記憶以上の密集でした。
堀川駅から土居下までには大津橋駅があり多くの人の往来がありました。母一家の家の前には市電が走り大津橋・名古屋城・景雲橋の電停が有り沿線には那古野神社・東照宮が有り映画館も有りました。
瀬戸電・市電・堀川港・円頓寺・納屋橋から広小路へと大正・昭和初期は賑わった事でしょう。私も少年期の記憶が鮮明に蘇ります。
他に見覚えあるものは絵葉書です。父の本棚の引き出しに沢山有りましたが、その中に名古屋で開催された博覧会の物があったと思います。
名古屋では鶴舞公園で「御大典奉祝名古屋博覧会」が昭和三年に、「名古屋汎太平洋平和博覧会」が昭和十三年に開催されています。その時発行されたと思います。空襲で総ては灰になってしまいましたが私はその絵葉書に記憶が有ります。
昭和十三年は鶴舞公園のすぐ傍(200メートルほど)に住んでいましたが三才の私が博覧会に行ったかどうかは憶えていません。三才なら父が連れて行ってくれたかもしれませんが・・?。
その他にはイメージ着色の「尾張名所図会」同じく「江戸期の名古屋城下図」の展示が有りました。
市政資料館を後に東へ次の地点へ・・・。

鳥屋筋の長屋
六年前には全戸(八軒)住んで居られたと思いましたが、現在は北端の一戸が外観を改装した理髪店のみで、他は空き家になってしまったようです。屋根神様も、おいでかどうかもわかりません。
建物がいつ建てられたかはわかりませんが住み難い状態だろうと思います。家は住む人が居なくなると忽ち劣化が進みます。
地域には、六年前に有った建物も、加藤家消滅、桜明荘(マンションに)、春日文化住宅は(一部崩壊無人立ち入り禁止)になりました。
他目的利用の声もありますが難しいようです。
いずれは消えます。今のうちにシッカリ見ておきましょう。


掲示文

長屋を壊さないで!キチンと説明してください。

屋根神様も見ている長屋の暮らし百年

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