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文化のみち2010
「歩こう!文化の道2010」が例年通り十一月三日に開催されました。スタンプポイントは年々増えて今年は22。
「名古屋城」から始まって「徳川園」までです。今年加わったのは「名古屋市役所本庁舎」「三菱UFJ銀行貨幣資料館」「東海高等学校・中学校講堂」「徳源寺」。
「名古屋市役所本庁舎」は、07年に一度だけ公開されました。今回は新聞報道やTVでの報道もあり、9.45分頃には長蛇の列。私は、まず9.30「市政資料館」でマップを受け取り「明和高校吹奏楽部オープニングコンサート(ルパン三世など)」を聞いてから市役所へ行きましたが、入場制限をしているようで何時の入場になるか判らないので名古屋城でスタンプだけ押して引き返しましたが列は伸びるばかり、以前見ているのでスタンプだけにしました。内部の様子は「07文化のみち」に紹介していますからご覧下さい。
’99年の第一回から行っているので道順は判っています。05年から南の鍋屋町筋が加わり13ポイント。距離も長くなりました。41号線信号を渡ると「カトリック主税町教会」。今回は丸窓のステンドグラスを観察してきました。
「撞木館」「二葉館」「徳川園」は月曜以外は開館(有料)です。「百花百草」は、水・木・金・土です開館です。
他は外観を眺める事になります。レストラン・美術館・料亭は別途です。
「撞木館」は整備後有料(200円)になりました。「撞木館」では外されていて土蔵から発見された多くの「ステンドグラス」が以前の各所に嵌められていました。かなりの数に驚きます。
日本座敷では「伊勢型紙展(源氏物語・歌舞伎・花模様など)」。庭園「撫松庵(明和高校茶道部)」。
「旧豊田佐助邸」。ここでは目当ての「東区文化のみち あれこれNO8(100円)」購入。お庭で「元贇焼とお茶の接待」。
ここで「東区文化のみちガイドボランテイア」会長さんと受付でしばらく会話。
私が空襲まで住んだ葵町至近(現葵2丁目、町名変更までは車道町)にお住まいで、葵国民学校(昭和十九年一年生)在学。空襲疎開で一家は弥富に在住。昭和二十三年に現在地に復帰されたという事です。私は父の戦死で復帰出来なかったので誠に無念の想いです。当時の様子を知る人が居られれば知らせて頂くことにしました。
白壁筋の「百花百草」は有料(500円)ですがイベントの無い時ゆっくりと思いながらまだ中に入っていません。
今回「料亭加茂免」の向かい側の「修道女会」の門が開いてガイドの人が説明をしていました。建物には入れませんが、門の右の茂みに「切支丹灯篭(織部灯篭)」と蹲(つくばい)が見えました。建物内部に立派な庭園があるそうですが公開されていません。この道はよく通るのですが何時も門は閉めてあり気が付いていませんでした。
「加茂免」の並びは「桜井邸」「盛田邸(盛田酒造・ソニー)」「百花百草」ですが「盛田邸」は表札が読み難くガイドの方に教えられて知りました。盛田昭夫さんは「春田文化住宅」に住まわれた事は聞いていましたが、ここが本宅とは知りませんでした。現在は弟さんがお住まいだそうです。「坂田藤十郎襲名披露お練り」の時、御園座正面で楽しい挨拶をされた方でしょうか。
(東海高校・徳源寺・建中寺は次項で)

(主税町教会) 丸いステンドグラス 屋根は日本瓦 内部から天井上を見る 正面左下の赤い十字
(撞木館) 尾張万歳のご祝儀 右(百花百草) 中(盛田邸) 
向こうへ(桜井邸)(料亭加茂免)が続く
カノッサ修道女会) 養成の家
 門の右にキリシタン灯篭と蹲がある

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