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文化のみち U
建中寺 数年前、の「文化のみち」を訪ねた時、徳興山 建中寺惣図「天明六年(1786)〜嘉永三年(1850)の建物・敷地」と徳興山建中寺(現在の建物・敷地)各1枚を頂きました。本堂にも拡大した図が展示してありました。その時、旧地・建物はどうなったのだろうと思いました。
平成20年の「東区文化のみち あれこれ」No8 東区ガイドボランテイアの会編集の内に「尾張徳川家と菩提寺建中寺」という文写真が掲載されました。創建から現在に至る建物・敷地・墓碑の変遷がかなり詳しく紹介されました。平和公園には建中寺墓地があり宗春公の墓碑が一際目立って建っています。家老のお墓も有りますが成瀬さんは犬山だと思います。
歴代藩主の墓碑・霊廟は何処にと思っていました。霊廟(霊屋)は今年拝殿までが初公開されました。
現在建中寺には二代光友公の墓碑のみ、本堂西北の唐門の奥に建っています。これは当初から変わっていません。普段は門が閉じられていますが、昨年の「文化のみち」には開いていました。その時初めて見ました。門の前には木柵があり門内には入れませんでした。
今年は柵は無く中まで入れました。その時、門の中、西南角に写真の「墓誌銘之碑」を見ました。
門外からは全く見えない所にひっそりと建てられているという感がしました。

碑文は次の通りです。

墓誌銘之碑
昭和二十七年十二月 建中寺内徳川家累代の墳墓三十八霊 品野町応夢山の徳川家納骨堂に改葬す
墓碑名はすべて藩儒の撰述にかかるも これを委棄するに忍びず よって此所に埋む
                    昭和二十八年八月  徳川義親


徳川義親氏のやるせない心が伝わってきます。

十二基あった代々藩主の墓碑・霊廟のその後については別に項目を設置、お伝えします。


建中寺 光友公墓碑 墓誌銘之碑 霊廟唐門
拝殿 この奥に御廟 渡り 内陣
明照殿(1980完成) 旧明照殿 大講堂正面
大講堂舞台 後部と二階 禅堂 (額 爪牙窟 白隠禅師)
禅堂内部道場 開山堂 天井雲龍図 川合玉堂画伯 凄まじい迫力
「東海高校 明照殿・大講堂」
「東海学園大講堂(昭和六年建築)」(東海中学・高校)は細長い矩形平面で、1階には玄関ホールや生徒控室(現在は生徒用大食堂)などがあり、2階には中心機能である講堂、舞台などがある。3階はギャラリー。
講堂内部は、窓まわりや天井の要所に縁取りを入れ、その間を明るい色彩としている。このため、軽快でモダンな講堂となっている。
講堂内部とは対照的に装飾模様を入れた半円アーチの入口、その上の湾曲したバルコニー、さらに、垂直性を強調した階段塔など、外観は全体的に力感のある表現となっている。(C&D 文参照)

今回、初公開でした。門を入って正面に「明照殿」(明治34年 (1901) 忠魂祠堂(明照殿の前身)を創建 。新 明照殿完成 1980)があります。案内矢印に従って階段から上がりました。「東海学園講堂・明照殿 その知られざる歴史を訪ねる(〜東海中学の「明治・大正・昭和」〜)」というミニ文化講座が明照殿で午前午後用意されていましたが私が行った午後1.50には誰も居ませんでした。
講師の東海高校社会科教員 西方久司さんは、'98年「東区生涯学習センター」で「東区の空襲の事実をほりおこす」に出席したとき、愛知東邦大学講師 歴史研究家の高木傭太郎さんと共に「名古屋空襲」の資料研究をしておられ「米軍資料による空襲」のディスカッションをされました。
その時、昭和初期の名古屋住宅図のコピーを頂きました。その後、他区の住宅図は鶴舞図書館で入手。自分史の貴重な資料に加わりました。高木さんとは、その後「戦争展」でもお目にかかっています。今回、西方さんの講座は聞けませんでしたが受付で10ページ(写真を含む)資料を頂きました。
詳しくは改めてご紹介します。
廊下を通って大講堂へ学校の活動をプロジェクターでスクリーンに投影していました。一人居ただけでした。西の建中寺へ案内表示がありましたが校庭へは出られないようなので正面は見ませんでした。引き返して明照殿へ、誰も居ないので受付の学生さんに「誰も居ないのは淋しいね」と言って建中寺へ向かいました。途中、女性に「東海高校はどこですか・・」と訊ねられました。

「徳源寺」
今回初公開でした。境内はいつでも入れますが「禅堂」「開山堂」内部は非公開で、普段は中を見る事は出来ません。今回初めて内部を見る事が出来ました。説明はパンフレットが発行されていますから訪ねれば頂けます。驚いたのは「開山堂」の天井画が川合玉堂画伯の「雲龍図」で、肉眼で至近から見る事が出来た事です。物凄い迫力です。拡大したものを別にアップします。

今年の「文化のみち」は22ポイントの内18ポイント行きました。9.30〜3.30まで歩きましたが「これは全部行けるな」と思いましたが「まちの縁側MOMO」探しで引っ掛かり中断しました。行った事があるのですが逆方向から向かったので見付かりませんでした。
こだわりはありませんが久し振りに六時間歩けた事は有り難い事でした。
雲龍図拡大

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