百人暴れ神輿見聞記
午後一時二十五分、太鼓が鳴り、御神輿渡御式典が始まりました。
十四年に拝見した時は十分ほどで終了でしたが、今年は非常に丁寧に執り行われ、宮出しは一時五十分でした。
最大の見せ場である桜通り大交差点は二周り。錦通りは一周り。
ご贔屓筋の飲み物接待は5〜6箇所。担ぎ手は手ブラですから、これは絶対欠かせません。
これは四国遍路のご接待などと同じ意味があります。
姿は違いますが、私は「さくら道270Kマラソン」の個人給水エイドを10回させて頂き、250人ほどのランナーを笑顔で見送りました。これも、ご接待だったと思います。
今年は土曜日で休日の会社が多かったのですが、わざわざ開いて出迎えて下さる所もありました。担ぎ手の皆さんの笑顔の返礼が「今年も又」という気持ちにさせるんでしょう。
若宮到着は三時でしたから七十分の道中でした。担ぎ手も百人を超えていましたから余裕が感じられました。
九十才の方が参加して居られると聞いて、思い当たる方が神輿の前に居られたので出発前、声を掛けました。
以前撮影したビデオにも、総代さん達と並んで居られたので、多分、町内の長老の方だろうと思っていました。
話を伺うと、戦前から参加して居られましたが、戦争による中断はありましたが三十回は参加しているとの事です。
以前は町内には大笹提灯が並び、九時、十時まで町内は大賑わいだったとの事です。
往路は神輿の真後ろの真ん中での頑張りでした。小柄な方なので、担げなくとも、止まって行かれるだけにしても大したものです。途中で激励の声を掛けました。
帰路は、やめると言っておられましたが、神輿の後ろから那古野神社還御まで完歩されました。驚くべき体力で敬服しました。今年で区切りだと言っておられたので、記念に過去のビデオを含めて送らせて頂く事にしました。
担ぎ手は昨年から若手が多くなり、今まで相当頑張って勤めてこられた中堅の方の姿が見られないのは寂しい気がします。脇役でも立派な風格のある皆さんですから姿を見せて頂きたいと思います。
還御神事の後、復路は四時若宮出立。守田人形さんなど、各所の接待を受けつつ祭列は進み、錦通りで一周り、待ち構える子供神輿・お獅子が合流しました。
十五年は錦通りでは子供も共に二周りしましたが、今回は次の桜通りでの三つ巴となりましたが、何故か一周りでした。帰りも二周を見た者には物足りなさがありました。
那古野神社帰還前に、例年は、元禄創業の老舗料亭「河文さん」の玄関付け接待という情緒ある行事が行われるのですが、今年は、ご都合により省略となり左手に眺めながら本町筋直行となりました。残念な事でした。
それなどもあり、例年より三十分ほど早く神輿還御となりました。
参道往復の後、神輿は納められ神事の後、総代さんから労いの言葉。組頭の、ご祝儀三本〆で本祭神輿渡御は目出度く終了となりました。
二十年勤められた先代組頭さんを引き継がれた新組頭さんの若さ溢れた奮闘振りに拍手を送ります。
周囲の若衆の連携も見事なもので日毎に経験を積まれれば老練さも加わり立派な組に発展される事でしょう。
今年は笹提灯と二福神囃子の奉納という復活行事がありました。
「車楽」を表通りに引き出そうという話も聞きます。
名古屋三大祭りが少しずつでも復活繁栄する事を願っています。 |