源氏物語「めぐりあい」(玉鬘)  現代語訳

〔一〕
 からうじて椿市といふ所に、四日といふ巳の刻ばかりに、生ける心地もせで行き着きたまへり。

 歩むともなく、とかくつくろひたれど、足の裏動かれずわびしければ、せん方なくて休みたまふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三四人、女ばらあるかぎり三人、壺装束して、樋洗めく者、ふるき下衆女二人ばかりとぞある。いとかすかに忍びたり。大御灯明のことなど、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主の法師、「人宿したてまつらむとする所に、なに人のものしたまふぞ。あやしき女どもの心にまかせて」とむつかるを、めざましく聞くほどに、げに人々来ぬ。これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四つ五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻き歩く。いとほしけれど、また宿かへむもさまあしく、わづらはしければ、人々は奥に入り、外に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障などひき隔てておはします。この来る人も恥づかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心づかひしたり。さるは、かの世とともに恋ひ泣く右近なりけり。
↓ 現代語訳
 (京を出発して)やっとのことで椿市(つばいち)というところに、四日目の朝十時ころに、生きた心地もなく行き着きなさった。

 (疲れ果てて)歩くともいえないようすで歩いてきて、あちこちを手当てしたが、足も動かすことができなかったので、どうしようもなくお休みなさる。この頼りにする人である(豊後の)介、弓矢を持つ人二人、そのほか下働きの者、子供たちなど三、四人、女たちは、ぜんぶで三人が、壺装束をつけて、桶洗(ひす)ましいらしい者や年取った下女二人ほどいる。たいそう目立たないようすをして人目を避けている。仏前に供えるお燈明の用意を、ここで追加したりなどしているうちに、日が暮れてしまった。その宿の主人である法師がやってきて、「他のお客をお泊めしようと思っていたところへ、どういう人が入ってこられたのか。けしからぬ女中たちが、勝手なことをして…。」と文句を言っているのを、(姫君や乳母たちが)心外な思いで聞いているうちに、なるほど人々がやってきた。この人たちも徒歩できたものと見受けられた。かなりの身分らしい女が二人、従者たちは男女とも大勢いるようだ。馬を四、五頭引かせて、人目を忍んでたいそう質素ななりをしているが、こざっぱりした感じの男たちなどもいる。家主の法師は、その人々をぜひともこの宿に泊めたくて、頭をかきながら頼んで回っている。それが気の毒ではあるが、(玉鬘の一行は)もう一度宿を変えるのもみっともないし、めんどうでもあるので、お供の人々は奥に入ったり、ほかの部屋に身を隠しなどして、残りの人は部屋の片隅へ寄った。軟障(ぜじょう=視線を遮る布製の幕)などを引き回して境にして、(姫君は)そこにおいでになる。この新しく来た人も(つつましい雰囲気で)、気をおけるような人ではない。とてもひっそりして、お互い遠慮しあっている。じつは、(その人は)、つねづね恋い慕っては泣き続ける右近なのであった。



〔二〕
 年月にそヘて、はしたなきまじらひのつきなくなりゆく身を思ひ悩みて、この御寺になむたびたび詣でける。例ならひにければ、かやすく構へたりけれど、徒歩より歩みたへがたくて、寄り臥したるに、この豊後介、隣の軟障のもとに寄り来て、参り物なるべし、折敷手づから取りて、「これは御前にまゐらせたまへ。御台などうちあはで、いとかたはらいたしや」と言ふを聞くに、わが列の人にはあらじと思ひて、物のはさまよりのぞけば、この男の顔見し心地す。誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、ふとり黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分かぬなりけり。「三条、ここに召す」と、呼び寄する女を見れば、また見し人なり。改御方に、下人なれど、久しく仕うまつり馴れて、かの隠れたまへりし御住み処までありし者なりけりと見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、「この女に問はむ。兵藤太といひし人も、これにこそあらめ。姫君のおはするにや」と思ひ寄るに、いと心もとなくて、この中隔てなる三条を呼ばすれど、食物に心入れて、とみにも来ぬ、いと憎しとおぼゆるもうちつけなりや。
↓ 現代語訳
 (右近は)年月が経つにつれて、 (主人が誰だかはっきりしないような)中途半端な現在の奉公がどうもしっくりしなくなってきて、この御寺にたびたび参詣したのであった。いつもの例で馴れているので、軽い気持ちで支度をして来たのだが、徒歩でやってくる疲労に耐えられないで、物に寄りかかって座っていると、例の豊後の介が、軟障のもとに寄ってきて、お食事なのだろう、折敷を自分で持ってきて、「これは姫君に差し上げてください。ちゃんとした脚付きの御膳もそろっていず、なんとも恐縮千万なことですよ。」というのを聞くにつけて、(あちらの一行は)自分と同等の身分の人ではないようだと思って、軟障のの隙間からのぞくと、この男の顔を見たような気持がする。だれとは思い出せない。(右近はこの豊後の介は)ずっと若かった時にみただけであり、今は太って色が黒くなり、みすぼらしい身なりをしているので、あれ以来幾多の年月を経た今の(右近の)目には、すぐにはそれと見分けることもできないのであった。(その男が)「三条、姫君がお呼びですよ」と呼び寄せた女が、見ると、これもまた見たことのある人である。亡くなった方(夕顔)のところで、下働きであるが、長い間親しくお仕えして、あの、(夕顔が)お隠れになったお住まいまでついてきた者だった、と見てとって、まるで夢のような気持がする。主人と思われる人は、ぜひ見たいのだが、(ものの隙間からは)見えないようなところに位置していて、とてものぞき見できない。どうしていいか考えあぐねて、「それではこの女に尋ねよう。(当時)兵藤太といった人がいたが、それがきっとこの人に違いない。(それなら)姫君がおいでになっているのだろうか。」と思い至ってくると、もうひどく気がせいて、この中仕切りの所にいる三条を(こちらに下女をやって)呼ばせるのだが、(その三条は、姫君のおさがりの)食べ物に心をとられて、すぐにはやって来ないので、「(早く来てくれればよいのに)なんともにくらしい。」と思ってしまうのも、(はたから見れば)まあ、現金なことだよ。


〔三〕
 からうじて、「おぼえずこそはべれ、筑紫国に二十年ばかり経にける下衆の身を知らせたまふべき京人よ。人違へにやはべらむ」とて寄り来たり。田舎びたる掻練に衣など着て、いといたうふとりにけり。わが齢もいとどおぼえて恥づかしけれど、「なほさしのぞけ。我をば見知りたりや」とて、顔をさし出でたり。この女の、手を打ちて、「あがおもとにこそおはしましけれ。あなうれしともうれし。いづくより参りたまひたるぞ。上はおはしますや」といとおどろおどろしく泣く。若き者にて見馴れし世を思ひ出づるに、隔て来にける年月数へられていとあはれなり。「まづおとどはおはすや。若君はいかがなりたまひにし。あてきと聞こえしは」とて、君の御事は言ひ出でず。「みなおはします。姫君も大人になりておはします。まづおとどに、かくなむと聞こえむ」とて入りぬ。

 みなおどろきて、「夢の心地もするかな。いとつらく言はむ方なく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよ」とて、この隔てに寄り来たり。け遠く隔てつる屏風だつもの、なごりなく押し開けて、まづ言ひやるべき方なく泣きかはす。老人は、ただ、「わが君はいかがなりたまひにし。ここらの年ごろ、夢にてもおはしまさむ所を見むと大願を立つれど、遥かなる世界にて、風の音にてもえ聞き伝へたてまつらぬを、いみじく悲しと思ふに、老の身の残りとどまりたるもいと心憂けれど、うち棄てたてまつりたまへる若君のらうたくあはれにておはしますを、冥途の絆にもてわづらひきこえてなむ瞬きはべる」と言ひつづくれば、昔、そのをり、言ふかひなかりしことよりも、答へむ方なくわづらはしと思へども、「いでや、聞こえてもかひなし。御方ははや亡せたまひにき」と言ふままに、二三人ながら咽せかへり、いとむつかしくせきかねたり。

 日暮れぬと急ぎたちて、御灯明のことどもしたためはてて急がせば、なかなかいと心あわたたしくて立ち別る。「もろともにや」と言へど、かたみに供の人のあやしと思ふべければ、この介にも事のさまだに言ひ知らせあへず、我も人もことに恥づかしくもあらでみな下り立ちぬ。

右近は、人知れず目とどめて見るに、中にうつくしげなる後手のいといたうやつれて、四月の単衣めくものに着こめたまへる髪のすきかげ、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しうかなしと見たてまつる。 すこし足馴れたる人は、疾く御堂に着きにけり。
↓ 現代語訳
 やっとのことで、「思い出すことができませんわ、筑紫の国で二十年ばかり過ごしてきたこの卑しい身を、ご存じでいらっしゃる都の人とは。人違いではございませんか。」と言って寄ってきた。(三条は)田舎くさい掻練の小袖の上に絹の薄い上着などを着て、とてもひどく太っていた。(それを見ると)自分の年齢もいっそう思い知らされて恥ずかしいけれど、「もっとよくのぞいてごらん。私を知っていますか。」と言って、顔を差し出した。この女は、ちょっと見ていて気が付いて、手をたたいて、「あなたさまでいらっしゃったんですね。まあ、うれしいこと、うれしいこと。どこからお参りにこられたのですか。ご主人様はいらっしゃいますか。」とたいそう大げさに、まずは泣くのである。(この三条を)若い女性としていつも見ていた当時を思い出すにつけても、それ以来経過した年月の長さが数えられて、まことに感慨無量である。(右近は)「何はともあれ、乳母様はおいでになるのですか。若君はどうおなりになりましたか。あてきとお呼びした女の子は?」と言って、夕顔の君のことは、あえなく他界されるような人の世のはかなさを考えると、(今そのことを言ったら、相手は)がっかりしたなあ。」などと言いはしまいかと思い、詞の端にかけるのもはばかられて、言いださないでいる。(三条は)「みなさんいらっしゃいます。姫君も大人になっておいでです。ともかく、乳母様にこのことを申し上げましょう。」と言って(軟障のむこうへ)行った。

 皆びっくりして、(乳母は)「夢のような気持がしますよ。とても薄情で、何とも言えないひどい人と思っていたお方に、こんなところで顔を合わせるなんてねえ。」と言いながら、この仕切りの所へ寄ってきた。ひどくよそよそしい感じに間を隔てるように屏風などを立てておかれたのをその跡形もなくすっかり押しのけて、まずは胸がいっぱいで言葉もなく、お互いに鳴きかわすばかりである。年取った乳母は、他のこととてなくただ、「ご主人様はどうなさいましたのですか。長年の間、夢の中ででもお元気なご様子を見たいものだと大願を立てましたが、(私たちが)遠い田舎に住んでいるせいで、風の噂にもお聞き伝えすることができないでいたことを、たいそう悲しいことと思っていたのですが、年老いた身でこうして生き残っているのもまことに情けないことですけれど、(ご主人様が)お見捨て申してしまわれた若君が、いじらしくおかわいそうなご様子でこの世にいらっしゃるのを(おいて死んでいくわけにもいかず、それを)死出の旅の妨げとして、お取扱いに困りながら、こうしてまだ目もつぶらずに生きております。」と語り続けるので(それにたいしてどう答えていいものか)、昔、あの(夕顔が急死した)折り、嘆いてもどうにもならない状態で途方にくれたあの時の気持ちよりも、(今の方が、乳母への)返事のしようがなく、面倒で困ったものだと思われたけれど、(右近は)「いやもう、今更申し上げても仕方がないことです。ご主人様はとっくにお亡くなりになってしまっておいでです。」というと同時に、三人とも涙名にむせ返って、ひどくみっともないほど涙が流れるのを、抑えきれずに泣くのであった。

 (案内の者が)「日が暮れますよ。」と騒ぎ始め、御灯明のことなどもしたくし終えて、(人々を)急き立てるので、ひどくせわしない気持ちで、(右近と乳母たちは、自分の部屋へ)別れ去る。(右近は)「ご一緒に(お参りいたしましょう)。」と言ったけれど、お互いに、お供の人々が変だと思いそうなので、(ともに行くのはやめて、乳母は)あの豊後の介にさえも事情を十分知らせることもせずに、(そうはいっても、相手が誰だかわかった以上は)自分も相手も特に気兼ねもなく、みんなで家の外へ下り立った。

 右近は、そっと(姫君に)目を止めてみると、一行の中にかわいらしい後ろ姿で、ひどく粗末な身なりで(今は秋、八月というのに、初夏の)八月に着る「のし単衣」らしいものを着て、中に入れこめていらっしゃる髪が(単衣を通して)透けて見えるさまが、何とも(服装に比して)もったいなく、そして(美しく豊かで)すばらしいものに見えるのを、(右近は)おいたわしく、悲しいことと思って拝見する。(こうして)少し歩き馴れている人(右近)は、はやくも御堂に行き着いたのである。



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