木 下 和 朗
1年半にわたり千年紀(Millennium)をまたいで開かれた憲法演習II(1998年度後期開講)が終講を迎えた。今回の憲法演習IIは私の第2期ゼミにあたる。私は、熊本大学法学部に赴任してから、今回のゼミを含めて三つの憲法演習II を担当した。もっとも、そのうちの一つ(第0期・1996年度通年)は他大学へ転任した教官のゼミを引き継いだものであり、他の一つ(第1期・1996年度後期開講)は憲法演習II から開講したゼミである。これらに対して、今回のゼミは、私が憲法学を直接に講じた学年を対象に初めて開講し、また、憲法演習Iから継続して開講してきたものである。この意味において、今回のゼミは「手塩にかけた」最初のゼミと言い得る。
今回のゼミは、男子学生1名・女子学生3名の計4名、そのうち演習Iから持上がりの受講生が3名、という構成である。皆ともに人がよく、お互いにある程度気心が知れていたせいか、少人数らしいアットホームなゼミになったと思う。但し、男女比が均等でなかったため、男女平等の下、性的役割分担論が必ずしも妥当しないとはいえ、唯一の男子学生である岩尾君が何かにつけて奮闘する結果となったことについては、彼が気の毒に思われる一方、感謝の念をもっている。
今回のゼミは波乱含みでスタートした。開講予定日当日、私が不覚にも転倒し、右足腓骨を骨折してしまったからである。結果、ゼミは1ヶ月遅れて開講することになった。他方、私の入院先にゼミ生諸君が見舞いに来てくれるという粋な計らいに−−今だから告白するが、全く期待していなかっただけに−−感激した。また、骨折騒動の余波で補講することとなり、指宿でゼミ合宿を行った。宿泊先で遊んだ「大富豪」で、ゼミ生諸君の素顔が垣間見られたのは思わぬ成果だった。
今回のゼミは「よく学ぶ」に終始した。諸君ほど真面目な学生を私は知らない。不適切な言葉で表現するならば「××マジメ」である。教官が「小うるさい」せいかもしれないが、これは単なる偶然の結果だろう。とまれ、諸君が1年半それぞれに真面目に勉強したのは紛れもない事実であり、その成果がこのゼミ論集である。掲載されたゼミ論文は、法学部生が執筆した論稿としては力作であると、お世辞抜きに評価できる。加えて、諸君が協力して作成した「戦後地方自治邦語文献目録」は、現在のところデータとしての信頼性に問題は残るが、資料的価値が高いものである。このゼミ論文集を携えて卒業する諸君は「法学士」たることを自負してもよいであろう(これは若干お世辞...)。
何れにせよ、私個人は、今回のゼミが無事に終了したことに一層の感慨がある。諸君の協力に深謝する次第である。
最後に一言。主題はゼミの効用である。今回のゼミの効用については、諸君それぞれの評価があろう。私個人として反省すべき点もある。但し、ここでは、私がこの際強調しておきたい、というよりもむしろ、1年半の間念頭に置いてきた効用について述べる。
私のゼミ教官である中村睦男先生(北海道大学法学部教授)は、ゼミ論集の価値は卒業してから20年、30年といった後に生ずる、と私の手元にあるゼミ論集の巻頭言に記している。至言である。なぜなら、ゼミの「真の効用」は、ゼミを通じて学んだ記憶や考え方、培った人脈にあるからである。中村先生もまた、同じことを示唆なされていると思われる。私も、法学部を卒業して10年目を迎える現在、このことを実感しつつある。この10年間、仕事を超えたネットワークの基点の一つは学生時代のゼミにあった。ネットワークの形態は、時に酒宴であったりさまざまであったが、ゼミの旧友達と交わされる、ふとした会話が、私にとっての社会への窓であり現在における自らの立場や考えを同定する場となってきた。1年半という比較的長期にわたり全く個性の異なる者が利害を超えて集うということは、一つの奇縁である。諸君はこれから再び、別々の環境の下で新たな生活を送る。そうであっても、諸君が折に触れて、建前や立場、利害を超えて互いの考えを磨き合うことで、このゼミにおける経験と人脈を生かすことを願っている。そして、たまには私にも声をかけてくれるならば幸いである。
(c) Kazuaki KINOSHITA, at 22 Feburary 2000.