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雪舟廟処道


赤のライン ・・・雪舟廟処道
島根県益田市
大喜庵に向かう坂道の左側角にある道標は「是より東大喜庵雪舟廟処みち」とある。もとは今市の地蔵堂の横にあったものである。手前右側にある道標には「雪舟廟処道」と記されている。雪舟の墓(市指定文化財)は大喜庵裏の墓所にある。「大喜庵」は、雪舟が晩年を過し東光寺が焼失した跡地に建てられたお寺である。

墓の説明板
益田市指定文化財
雪舟の墓
昭和四十六年六月二十一日
雪舟は応永二十七年(一四二〇)に備中(岡山県)に生まれ、幼くして相国寺に入り、周文から画法を学び、応仁元年(一四六七)明に渡り中国の画法も学んだ。
また益田氏の招聘によって、石見を二度も訪れ益田で死没したと言われる。
雪舟の没年は、永正三年(一五〇六)であると言われており雪舟終焉地については東光寺(現大喜庵)の他、山口雲谷庵備中重源寺、同真福寺など諸説があるが、墓が存在するのは益田市のみである。
雪舟の墓は東光寺の荒廃とともに寂れたが、江戸時代中頃の宝暦年間に乙吉村の庄屋金山太右衛門が施主となり願主である佐州(佐渡)の浄念とともに改築したものが現在の墓で、内部には旧墓の相輪が納められている。


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