京都府京都市左京区鹿ヶ谷栗木谷町
霊感寺の山門わきの道端には、「此奥 俊寛山荘地」と刻まれた小さな石碑が立っている。瑞光院を過ぎ「俊寛僧都旧跡道」と刻まれた石碑と「京都一周トレイル」の標識が立っている所から左に進み、ここから道は杉木立の山道に入る。山道は「如意越え」と呼ばれる古道で、霊鑑寺から園城寺(現在の三井寺)へと続いている。山荘跡には「俊寛僧都忠誠之碑」と刻まれた碑が立っている。副碑として「俊寛僧都鹿ケ谷山荘址碑」が隣にある。1177年、後白河法皇やその近臣が鹿ケ谷にあった俊寛の山荘に集まり、打倒平家の密談を行った。しかし密告により、後白河法皇を除いた中心人物たちは処刑、あるいは流罪となり、俊寛も薩摩の鬼界ヶ島へ流罪になった。
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