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万次郎へのみち


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水色のライン・・・万次郎へのみち
高知県土佐清水市
「万次郎へのみち」は四国のみち(四国自然歩道)の一部で高知県にある道である。臼碆から清水漁港までの14.8Kの道である。途中の中浜にはジョン万次郎の生家や、土佐清水にはジョン万次郎の生涯を紹介したジョン万次郎資料館がある。
ジョン万次郎こと中浜万次郎は、文政10年(1827年)1月1日に土佐の中浜、今の高知県土佐清水市中浜の貧しい漁師の次男として生まれた。9歳の時に父親を亡くし、万次郎は幼い頃から稼ぎに出ていた。天保12年(1841年)、14歳だった万次郎は仲間と共に漁に出て遭難。数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着した。漂着から143日後、万次郎は仲間と共にアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号によって助けられた。アメリカ本土に渡った万次郎は英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学びました。日本に帰国することを決意した万次郎は嘉永4年(1851年)、薩摩藩領の琉球(現:沖縄県)に万次郎は上陸した。万次郎達は番所で尋問後に薩摩本土に送られ、薩摩藩や長崎奉行所の尋問を受け、嘉永6年(1853年)、帰国から約2年後に土佐に帰国する事となった。その後、万次郎は幕府に招聘され江戸へ。直参旗本となる。その際、故郷である中浜を姓として授かり、中浜万次郎と名乗るようになった。この異例の出世の背景には、ペリー来航によりアメリカの情報を必要としていた幕府があった。万延元年(1860年)万次郎は、日米修好通商条約の批准書交換のために幕府が派遣した海外使節団の一人として、咸臨丸に同行している
 
万次郎記念碑
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