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銭五通り


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赤色のライン
・・・銭五通り
石川県河北郡津幡町
金沢市、内灘町、津幡町、かほく市、の4市町にまたがり南北に延びる道路を「湖央通り」とし広大な干拓地に分かりやすい目印を設けようという事でこの道路と交差する三道路を「白鳥通り」、「宝竜通り」、「銭五通り」、と名付けている。それと同時に「河北潟の水位」の位置を示した案内板が設置してあったが現在は無いようである。銭五通りは三本の通りの中では北に位置する通りである。湖央通りの東側には銭五橋がある。河北潟の干拓の歴史は古く、延宝元年(1673年)の加賀五代藩主前田綱紀による約3haの新田開発に始まる。以降数次にわたる小規模な埋立が行われた後、嘉永2年(1849年)、銭屋五兵衛によって230haの埋立による巨大な新田開発が開始された。工事が難航する中で嘉永5年、歴史上著名な銭屋五兵衛埋立工事疑獄事件として挫折し、銭屋一族が破滅している

銭五通り看板

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