愛知県名古屋市
加藤清正の生誕地である妙行寺前の東西の通りが清正公通りである。名古屋城築城を徳川家康に命じられた際に,余った木材を使用して,寺を再建したのが妙行寺の始まりといわれている。妙行寺には「加藤清正公」の銅像や「清正誕生之碑」の石碑がある。
解説板から
清正は幼名を虎之助といい、永禄五年(1562)この地に生まれたといわれる。天正(1573〜)のはじめ秀吉に仕え、数々の武功たてた。とくに賤ヶ岳の七本槍は有名である。のちに肥後国(熊本県)五十四万石の領主となった。
慶長十五年(1610)名古屋城築城の時、自分の誕生地に城の余材をもって妙行寺を再建したと伝えれる。寺内には、秦鼎の撰文「清正旧里乃碑」がある。 名古屋市教育委員会
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