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下瀬の小径


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下瀬の小径

下瀬の小径
 東京都北区
下瀬の小径はここに下瀬火薬製造所があった事から由来している。敷地南東側の坂には下瀬坂がある。下瀬火薬製造所の跡は東京外語大が2000(平成12)年府中市に移転するまであった。現在ここは西ヶ原みんなの公園と老人ホーム飛鳥晴山苑となっている。下瀬火薬(しもせかやく)は、大日本帝国海軍技師下瀬雅允が実用化したピクリン酸を成分とする爆薬(炸薬)である。日露戦争当時の日本海軍によって採用され、日露戦争における大戦果の一因とされた。
下瀬 雅允(しもせ まさちか) 1859年(安政6年12月16日)生まれ 1911年(明治44年)没。発明家で工学博士、旧日本海軍の軍属(技手・技師=技官)。
 
東京外語大跡

下瀬坂
 
下瀬 雅允の墓 染井霊園

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