いろいろな道

街道古道廃道道

名のある通り 東京


有栖川公園通り


より大きな地図で 東京 有栖川公園通り を表示
オレンジのラインが有栖川公園通り

有栖川公園通り

有栖川公園通り
 東京都港区
有栖川宮記念公園の北東側の道が「有栖川公園通り」となっている。、明治29年(1896)に皇族有栖川宮家の御用地に、大正7年(1913)には高松宮家の御用地になった。 昭和9年(1934)1月5日、有栖川宮威仁(たけひと)親王の二十周忌の命日に公園用地として賜与され、東京市は同年11月17日公園として開放しました。現在は港区立の公園で、 広さは約67560平米、敷地内には都立中央図書館、麻布運動場もあります。江戸時代は忠臣蔵で有名な浅野家の下屋敷があったところです。後に盛岡藩南部美濃守の屋敷となっていました。南部坂はその当時の名残です。有栖川家の一人で幕末の戊辰戦争で西軍のトップである東征大総督となった有栖川熾仁(たるひと)親王が馬上姿で凛々しく構えている銅像がある。天保6年(1835)皇族有栖川家第8代有栖川宮幟仁(たかひと)親王の第一王子として誕生し、第9代の当主として、幕末から明治新政府の政治家となり、戊辰戦争では軍人としてトップを極める。西南戦争から日清戦争まで、軍人として活躍。日清戦争の中、広島大本営にて明治28年(1895)61歳で薨去する。熾仁は公武合体の皇女・和宮の婚約者であった。和宮が徳川家茂と結婚することになり婚約は破棄された。

有栖川熾仁像
 
有栖川宮記念公園沿革碑
 
有栖川宮記念公園 園内

県別 名のある通り リスト へ

HOME