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中山晋平の里証々寺の狸囃子コース


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赤のライン・・・中山晋平の里証々寺の狸囃子コース

中山晋平の里証々寺の狸囃子コース
 
中山晋平の里証々寺の狸囃子コース
 長野県中野市

長野電鉄の延徳駅から中山晋平記念館に向かう途中にある、長さ500m程の道が「中山晋平の里 証々寺の狸囃子コース」である。道の両端には木製の狸の絵がある道標が立てられている。この道標、證城寺の狸囃子の曲名とは違う表示で証々寺となっている。何か意味があるのか、ただの間違いなのか良く分からない。余談であるが狸囃子伝説の元となった木更津のお寺の場合は「證誠寺」である。また歩道には誰でも子供の頃一度は口ずさんだ事がある中山晋平の曲をモチーフとした絵の陶板が埋め込められている。コースの中程には證城寺の狸囃子の歌碑と狸の石像がある。中山晋平記念館は中山晋平のふるさとの中野市が生誕100年に建てた記念館である。記念館前には晋平の銅像、庭には背くらべの歌碑、カチューシャの像がある。裏手には生家があり、近くの松山寺には晋平の墓がある。尚、東京府中の多磨霊園にも晋平の墓はある。 
中山晋平は、明治20年3月22日、長野県下高井郡新野村(現在中野市大字新野)に生まれた。明治38年、ふるさとを後にして東京へ旅立った。島村抱月の書生となり、東京音楽学校予科に入学。45年卒業し、大正3年「カチューシャの唄」を作曲、松井須磨子の歌が大ヒットした。中山晋平は昭和19年、第二次世界大戦がはげしくなり東京都中野区より熱海市に移住し、昭和27年に亡くなるまで居住していた。居宅は西山町より梅園内に移築し、現在、中山晋平記念館となっている。

 
中山晋平記念館
 
證城寺の狸囃子の歌碑
 
中山晋平像
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