神功道
福岡県遠賀町虫生津 鞍手町
仲哀天皇と神功皇后の一行は埴生神社から剣神社を経て虫生津で上陸して古門にある古物神社へと移動したと言われているが具体的ルートは不明である。
貝原益軒の「筑前国続風土記」に「道筋は蘆屋より鞍手古門へ行、それより南の嶺(たうげ)を越えて、四郎丸、倉久へ下り...」と書かれている。
神功皇后道
福岡県宮若市
笠松神社前の道が神功皇后道と伝えられている。この道は神功道につながる同じ道と思われる。伝説によると神功皇后が白山嶺より有木郷に入り、側にあった松に笠を掛けてその下に休まれたとされている。ここが笠松神社である。ここには「笠懸けの松」の記念碑と松の切株とされるものがある。この神社は町道上倉線(上有木〜倉久)の改良工事にともない、神社用地を宮田町大字四郎丸字笠松1880−2から現在の地に移し社を建立している。ここから先は若八幡宮、美坂峠を通り香椎宮へ至るようである。
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