1772/11
交易レベルが53に到達。空けておいた国策枠に「現地調達」を選択。
これで疲弊度が上がりにくくなるだろう。
我が帝国の技術力は世界一である。
1774/04
豊かなプロヴィンスを求めてブラバントに宣戦布告。
敵にカスティーリャ・フランス・イギリス・フリースラントが付く。
今となっては寧ろサービス。
1775/01
カスティーリャ・フランス・イギリス・ブラバント・フリースラントから
ブラバン・カレー・アルトワ・アンジュー・ランカシャー・ヨークシャー・リンカーン
の計7プロヴィンスと計3850ダカットを得て和平。
さらにチムー・パッターニー独立。
豊かなプロヴィンスをたっぷり頂いた。
そしてイギリスも都落ち。ちなみに新首都はアメリカ西岸である。
1776/10
新王デメトリオス2世即位。能力値は 4-5-7。ゾエ3世もかなり長かった。
1778/01
暇な休戦期間にヴュルテンベルクに宣戦布告。
神聖ローマ皇帝のカスティーリャのみ敵に付く。
それにしても何故ヨーロッパから追い出された国家が神聖ローマ皇帝なんだろう?
1778/04
さらにマインツに宣戦布告。本命は宗主国でドイツ中部に領土を広げたメクレンブルクである。
1778/11
メクレンブルク(+マインツ)から
マインツ・プファルツ・ヴォルムス・リンブルフの4プロヴィンスと200ダカットを得て和平。
これでドイツ中部にも進出。
さらにカスティーリャ・ヴュルテンベルクから計2750ダカットを得て和平。
賠償金もさることながら BBR が厳しくなってきた。
1780/02
休戦期間明けにブラバントに宣戦布告。
前回と同じくカスティーリャ・フランス・イギリス・フリースラント付き。
1780/07
戦争中に新王マヌイル8世即位。能力値は 8-3-7。外交こそ欲しいのに・・・。
1780/11
カスティーリャ・フランス・イギリス・ブラバント・フリースラントから
ブレダ・カンブレー・ピカルディ・メーヌ・ロンドン・イースト=アングリア・カンブリア・ノーサンバーランド
の計8プロヴィンスと計1450ダカットを得て和平。
さらにショーニー・ブラジル独立。
これにてブラバントもヨーロッパ追放完了。後はフランスか・・・。
1782/09
陸軍レベルが57に到達。密集歩兵にアップグレード。遂に歩兵が最強に!
1783/03
チューリンゲンに宣戦布告。例によって目当ては保護していたポーランドである。
さらに言えば目当ては吸収されたバーデン。
1783/06
というわけでポーランド・チューリンゲンから
バーデン・マイセンの2プロヴィンスと計350ダカットを得て和平。
BBR の都合上あまり大量にプロヴィンスを取らない。
1785/09
フランスに宣戦布告。同盟のいないフランスなぞ最早敵ではない。
1785/10
フランスからコー・ノルマンディーの2プロヴィンスと550ダカットを得て和平。
かくして首都パリを包囲した。
もう本土だけでは戦勝点を稼ぎにくいが植民地まで遠征するのは面倒なのである。
1788/02
メクレンブルクの属国ケルンに宣戦布告。
1788/05
メクレンブルク(+ケルン)から
トリアー・ケルン・コブレンツの3プロヴィンスを得て和平。
プロヴィンスが高いので賠償金は獲得せず。
1790/11
フランスに宣戦布告。
楽勝と言いたいのだがイル=ド=フランスが高くて本土制圧だけでは戦勝点が足りない!
1792/02
戦争中に新王アンドロニコス7世即位。能力値は 7-7-5。ヤッター!
1793/01
フランスからイル=ド=フランスと100ダカットを得てようやく和平。
南北アメリカまで遠征させられてしまった。だが
これでフランスの首都はよりによってインドシナに。
1793/04
統治レベル61に到達。国策「士気」を選択。これで帝国はますます手がつけられない存在に。
1793/06
メクレンブルクとの休戦期間が終わった途端に
今回の革命はメクレンブルクで発生したらしい。
1793/09
というわけで教皇領に宣戦布告。
敵のオマケはカスティーリャ・メクレンブルク・ポーランド。
まあ本命はメクレンブルクだが。で
反動勢力になってしまった。
ちなみに教皇領はついでに併合。
1794/09
カスティーリャ・メクレンブルク・ポーランドから
ナッソー・ベルグ・ヘッセンの3プロヴィンスと計575ダカットを得て和平。
さらにイロコイ・パラグアイ独立。
毎度お馴染み革命失敗である。
1798/02
やはりあのような狭い所は嫌だったのかフランスがインドシナよりは広い南米へ遷都。
そしてそんなことにお構いなくフランスに宣戦布告。
1798/10
フランスからアーマー・フィニステール・モルビアン・ヴァンデ
の4プロヴィンスと50ダカットを得て和平。
これにてフランス征服完了である。
1801/06
統治レベル65に到達。国策「芸術の守護者」を選択。
正直絶対欲しいものはもう取ったので国威を上げることに。
1801/07
中核州とポツンと浮いた領土を求めてヴュルテンベルクに宣戦布告。
毎度お馴染みカスティーリャ・メクレンブルクが付いてくるがそんなの関係ねえ。
例によってヴュルテンベルクは即併合。
1802/02
カスティーリャ・メクレンブルクから
ミュンスター・カッセル・ヴェストファーレン・オスナブリュック
の4プロヴィンスと計550ダカットを得て和平。
さらにクリーク独立。
儲かったのだが BBR が溜まって暫く動けない・・・。
1803/12
ところで・・・
カスティーリャが摂政政治になった結果神聖ローマが本当に弱小国家の仲良しクラブと化した。
1806/07
さらに拡大するためフリースラントに宣戦布告。
付いてきたのはオマーン・メクレンブルク・ザクセン・ブラバント
(オマーンは身の程知らずにも警告していた)。
フリースラントは後ほど併合。
1806/12
ザクセン・メクレンブルクからブランズウィックと計1800ダカットを得て和平。
さらにオマーンからエチオピア独立。
1810/10
折角なのでブリテン島全部貰いにイギリスに宣戦布告。
付いてきたのはスカンジナビア・ケベック・ブラバント。
新大陸国家は関係ないがスカンジナビアとは久々の対戦である。
1812/01
スカンジナビア・イギリスから
ロジアン・エアシャー・ファイフ・アバディーン・ハイランド・
アルトマルク・アンハルト・テューリンゲン・リューネブルク
の計9プロヴィンスと計300ダカットを得て和平。
さらにヴィジャヤナガル独立。
スカンジナビアは流石に強かったが物量で圧しきる。
最早ネックは BBR だけである。
1816/03
仕上げにチューリンゲンに宣戦布告。
メクレンブルク・スカンジナビアの因縁の相手との再戦である。
無論チューリンゲンは併合。
1816/06
戦争中に新王テオドロス2世即位。能力値は 3-7-3。外交が高いのでまあ良しとする。
1816/10
メクレンブルク・スカンジナビアから
ブレーメン・ハンブルクの2プロヴィンスと計2550ダカットを得て和平。
さらにアーマドナガル・オリッサ独立。
これにて征服事業完了。