1399/11
先ずは収入をひたすら国庫につぎ込んで徴兵しつつ中核州持ちのキプロスに宣戦布告。
翌年併合したら続いて聖ヨハネ騎士団領にも宣戦布告、翌年これも併合。
先ずは体力をつけねば。
1401/12
幸いまだオスマン帝国はティムールと戦争中なのでこれに宣戦布告。
ところでver.3.1になってからオスマンがティムールに叩かれにくくなったような・・・?
それでもティムールとの連携と見境の無い軍拡が効を奏してオスマン軍を壊滅させる。
実は一度上手くいかずやり直しているのは公然の秘密である。
1408/02
こちらも疲弊度でボロボロになりながらもオスマンに完全勝利して和平。
ビチュニア・ブルサ・スミルナ・ジャニナの4プロヴィンス獲得。これにより
最初のミッションである小アジア沿岸奪還達成である。
次はギリシアである。
何!インフレが+8%?んな些細なこたぁ如何でも良いんだよ!
1409/09
オスマン帝国の崩壊は止まらず、ラリッサが反乱により我が国に寝返った。
ラッキーと思っていたのだが
1411/05
バルカン半島のオスマン勢力は完全に崩壊し、
ブルガリア独立と共にマケドニア・エディルネの2プロヴィンスが我が方に帰順、
結局3プロヴィンスがタダで手に入った。スゲー。
1413/03
オスマン帝国の属国であるカラマンに宣戦布告。
オスマンはアルバニアに兵5000がいるのみ。 こちらの疲弊度は回復しきっていないが楽勝である。
1414/10
というわけで全土占領の上
カラマン・シワス・アンゴラ・アルバニア・アンタルヤの5プロヴィンスを得て和平。
1415/06
今度は小アジアの北側のチャンダルに宣戦布告。
一見敵は強そうだが、ほとんどの相手は国境を接していない。
というわけでチャンダルからはシノーペと25ダカット、オスマン帝国からはコンヤを得て和平。
他は和平を言ってくるまで無視する。
1417/05
反乱独立したブルガリアに宣戦布告。
1417/06
戦争中に新帝マヌイル2世即位。能力は 7-4-8 と外交以外はかなり優秀。
1418/07
新帝の能力によりテマ制の復活が可能になっていることに気付く。
国内の人的資源修正+25%とかなり美味しい。
本当はテマ制はかなり地方分権寄りの気がするが、
メリットが大きいのでデメリットだらけのこのゲームの地方分権とは分けた模様。
1418/09
ブルガリアの全土占領の上
シリストラ・ブルガス・ニシュの3プロヴィンスと50ダカットを得て和平。
ちなみに戦いの最中に先の戦いの盟主ティムールと白紙和平。
ビザンティン帝国は初期領土こそ狭いものの、
コアプロヴィンスが広大なのでサクサク領土が広がる。
1419/04
統治レベルが4に到達。国策「国立銀行」を選択。
ビザンティン帝国の場合どうしても最初に無理せざるを得ないため、
国立銀行の重要性は他国以上に大きい。
寺院はゆっくり無理の無いペースで建設していくことにする。
1420/01
民兵法の可決。中央集権化が帝国の限界まで動いた。良い良い。
1421/04
残り1プロヴィンスのオスマン帝国に宣戦布告。
なにやら大勢付いてきたが、何、気にすることは無い。
1423/06
でオスマン帝国・チャンダルを併合し
セルビア・ドゥルカディルからコソボ・ムーサ・125ダカットを得た上で
お互い手を出せない盟主ティムールと白紙和平。
合計4プロヴィンスを手に入れた。
コソボ・ムーサはコアでない初めての領土である。
1424/01
さらにブルガリアに宣戦布告。
本当はトレビゾンドと同盟していたので纏めて潰したかったのだが
ブルガリアを裏切ったためブルガリアのみ併合。
また後で宣戦布告しないと・・・
1425/03
とここでまさかの事態が!マムルーク朝が我が国に宣戦布告!ムーサ取ったのが悪かったか?
・・・ところが敵は準備不足だったようで敵軍が国境にいない。敵の同盟国も居ない。
暫くするとボチボチ現れるが、こちらの騎兵軍団により各個撃破される。
対等の兵力だったのが既に半分以下である。
1429/03
あまり深入りするのも危ないし領土も維持できないので、
アレッポ・ベイルートの2プロヴィンスと25ダカットを得て和平。
予想より早く地中海東岸へ進出してしまった。
まあ何だかんだで我が帝国も大国の仲間入りである。
1429/09
新帝イオアネス7世即位。能力は 8-7-3。なかなか優秀。
ブルゴーニュはいつも通り、ティムール帝国は予想よりはまだ勢力が大きい。
・・・ってモスクワでかっ!もう少しノブゴロドには粘って欲しかったのだが。
ここはリトアニアに牽制頑張ってもらうしかないか。
そういえばナクソスって何時手に入ったんだ?