EU3IN オーストリアAAR 9 1770 - 1820

さらなる拡大を求めて

1771/01
陸軍レベルが53に到達。騎兵を新ラテン=フッサーにアップグレード。
また国策「現地調達」を選択。

1771/02
スライダーを中央集権に戻したところで政体を啓蒙専制君主制に変更。 まあオーストリアだし趣味の問題です。

1773/03 - 1773/12
オスマン帝国の属国セルビアに宣戦布告。
オスマン帝国からビチュニア・ブルサ・スミルナ・アンタルヤ・ロードス・ラム の6プロヴィンスと200ダカットを得て和平。 さらにグルジアを独立させる。
首都を包囲されたオスマン帝国はシノーペに遷都した。

1778/01 - 1778/12
イギリスが独立保障していたマカッサルに宣戦布告。
マジャパヒト王国・イギリス・マカッサルから ポクマック・ペナクック・アブナキ・エアシャー・ロジアン・ファイフ・アバディーン・ アルスター・ミース・ペラ・クランタン の計11プロヴィンスと1050ダカットを得て和平。
大漁じゃあ〜。BBR も大漁じゃあ〜。

1780/02 - 1780/12
グルジアが喧嘩売られた。

グルジア防衛

オスマンの力を削ぐために作った遠国に興味は無いが義理で参戦。 適当に勝ち進むと向こうの盟主ヒヴァが謝ってきたので白紙和平。

1782/02
陸軍レベルが56に到達。歩兵を猟兵にアップグレード。 今回普段使わない(私にとって)珍しい兵種ばかりな気がする。

1783/10 - 1784/09
またイギリスが独立保障していたマカッサルに宣戦布告。
マジャパヒト王国・マカッサル・イギリスから ハイランド・ウエスタン=アイルス・オークニー・レンスター・マンスター・コノート の6プロヴィンスと計925ダカットを得て和平。
これでブリテン島とアイルランドを完全征服。

イギリス征服

1785/11 - 1786/06
オスマン帝国の属国セルビアに宣戦布告。
オスマン帝国・セルビアからトラキア・セルビア・カラマン・アダナ の4プロヴィンスと100ダカットを得て和平。 バルカン半島を征服、ミッションをクリアした。
ちなみに次は鬱陶しいほどにある大学の追加建設なのでもう無視。

バルカン完全征服

1786/01
新王エルンスト2世即位。能力値は 8-5-7。どうせなら外交がアップして欲しかった。

1788/09
新王マティアス1世即位。能力値は 6-8-5。いょっしゃーー!

1790/01
陸軍レベルが59に到達。フランス槍騎兵・ナポレオン方陣にアップグレード。 とうとう最強ユニットに到達である。
新王ライナー3世即位。能力値は 8-4-4。名君の治世は短かった・・・。

1790/05 - 1792/03
スペインに宣戦布告。ポルトガル・スペインという新大陸国家との戦いである。
ポルトガル・スペインから ダドラ・コンカン・ゴア・ライチュール=ドウアーブ・メナド・クマシ・コニアン・トラルザ の計8プロヴィンスと計700ダカットを得て和平。 さらにインカを再独立させる。
とうとうインド半島にも進出。

インド進出

1793/03 - 1793/11
スカンジナビアに宣戦布告。
スカンジナビアからポドラシア・トラカイ・サモギティア・クロードノ の4プロヴィンスと100ダカットを得て和平。 この辺り意外とプロヴィンス単価が高い。

1795/02
統治レベルが61に到達。国策「士気」を選択。これで益々無双状態に。

1795/03 - 1795/11
ハンデシュに宣戦布告。
ラージプート・マイソール・ハンデシュからバローダ・スーラト の計2プロヴィンスと計1550ダカットを得て和平。

1796/07
新王カール4世ヨーゼフ即位。能力値は 8-6-6。改善された!

1798/11 - 1799/04
スカンジナビアに宣戦布告。
スカンジナビアからクールラント・リガ・ハッランドの3プロヴィンスと50ダカットを得て和平。 国境線の美しさを考えると対スカンジナビアはこんな所か。

1800/02 - 1800/11
オスマン帝国に宣戦布告。属国が無くなったので直接宣戦したけど同盟国が弱小であまり関係なかった。
オスマン帝国からスコーネ・ムーサ・アナトリア・コンヤ・カスタモヌ・アンゴラ の6プロヴィンスと100ダカットを得て和平。

1802/09
新王レオポルド11世ヨハン即位。能力値は 3-7-5。能力は良いのだが王の寿命の短さが気になる。

1804/01
統治レベルが65に到達。国策「総督制度」を選択。もうどれでもあまり変わらない気がするので。

革命・・・鬱陶しい

1804/08
今回の革命は珍しくオスマン帝国で発生していた。また戦わなくちゃ。

革命オスマン

1805/02 - 1807/07
ポルトガルに宣戦布告。目的はポルトガルの弱体化だが高収入領土も欲しい。
ポルトガル・スペインからモヒカン・デラウェア・レナペ・コニー・モナホアク・リオデオロ・アルガン の計7プロヴィンスと計400ダカットを得て和平。 ポルトガルの首都ウナミ(ニュージャージー)を包囲した。

1808/03 - 1808/10
オスマン帝国に宣戦布告。 そして勝ち進むとやがて革命は終息した。 オスマン帝国からスコーネ・ムーサ・アナトリア・コンヤ・カスタモヌ・アンゴラ の6プロヴィンスと100ダカットを得て和平。

秩序は回復された

今更あまり領土を得ても何なのシワスと550ダカットを得て和平。 代わりにイラクを独立させた。

1810/02 - 1811/09
またイギリス釣り目的でマカッサルに宣戦布告。
奥地まで侵攻したため時間がかかったが、イギリスからパムリコ・モナカン・ポーハタン・カナワ の4プロヴィンを得て和平。さらにマカッサル併合。

なお戦争中にポルトガルが2度目の遷都で囲まれたウナミから南部に首都を移した。
また今度はスカンジナビアで革命が進行。2カ国で革命発生は初めてである。

ポルトガル2度目の遷都

1813/01 - 1813/09
というわけでスカンジナビアに宣戦布告。
もう領土は要らないので革命終息後100ダカットを得て和平。

1815/01 - 1815/12
ポルトガルの同盟国ヤロスラブリに宣戦布告。
ポルトガル・リトアニア・ウクライナから ウナミ・サスケハナ・タスカローラ・アレゲニー・ヴィルニアス の計5プロヴィンスと計2800ダカットを得て和平。
これにて今回の戦争は終了。

1819/05
新王エルンスト3世即位。能力値は 5-5-5。まあこのタイミングでは関係ないが。

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