番場の宿に「瞼の母」を訪ねる
  今回の旅の最後に米原の番場の宿を選んだ。
  そこは米原駅の山手で、小さな峠を越えた、辺鄙な場所。旧中山道が廃れた後では昔栄えた番場の宿場は消え、宿の中心を成していた蓮華寺が取り残されていた。
  樹影の濃い山を背負って、紅葉の名所・蓮華寺は、人の気配を断ち、眠っていた。
  本堂前には2.5mはあろうか、巨大な斎藤茂吉歌碑が夕陽を浴びている。碑面には、茂吉が恩師・佐原窿応(当寺49世住職)を訪ねて、参詣した時の詠「松風のおと聴く時はいにしへの 聖のごとくわれは寂しむ」が刻まれ、反対側には百日紅が今を盛りと花を盛り上げ、陰りの見える境内を、そこだけ明るくしていた。
  番場忠太郎はこの地の名前を着けた長谷川伸の「瞼の母」の主人公。評判をとった作品なので、長谷川伸は縁のこの地にお地蔵様を建てた。地蔵様は本堂の裏手の山の上で赤いよだれかけを着けて夕陽を浴びていた。
  地蔵様の立つ台石には、長谷川伸が「南無帰命頂礼 親を尋ぬる子には親を、子を尋ぬる親には子をめぐり合わせた給へ(南無帰命頂礼=仏に対する帰依、礼拝を表す語)と、悲願を込めて地蔵尊を建立した時の言葉が刻まれていた。
  夕暮れの境内は、酔狂な闖入者を送りだすと、再び、松風の音だけの静寂に包まれて行った。(2010.08.記)
                                
                           (米原蓮華寺・茂吉歌碑:同左・長谷川文学碑)




      

     (大阪梅田芸術劇場・蕪村句碑「菜の花や月は東に日は西に」:高月渡岸寺・観音像−借物)



               −P.08−