常寂光寺から、嵯峨野線の踏切を越え、芝垣をめぐらした竹藪道へ。野々宮神社前には「小倉百人一首文芸苑・奥野々宮」の小さな園地。ここには後撰集から撰ばれた、天智天皇「秋の田の・・・」、蝉丸「これやこの・・・」など7基の歌碑が散らばる。折から、竹藪を渡って来た春風がさくらの花びらを散らす。
更に、嵐山の雑踏に出逢う直前に、「小倉百人一首文芸苑・野々宮」の案内板が現れた。こちらには新勅撰集から撰ばれた源実朝「世の中は・・・」藤原定家「こぬ人を・・」などの4基がさくらの花びらの絨毯を敷き詰めて座っていた。とりわけ、入道前太政大臣・藤原公経の「花さそふあらしの庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」が、「古りゆくわが身」にはぴったりで印象深かった。
これで小倉百人一首文化財団が設えた百人一首歌碑群(百基)の大半を調べた、残る部分は嵐山公園にある。公園傍の百人一首殿堂「時雨殿」と共に、紅葉の季節に探訪するのを楽しみにして嵯峨野を離れた。
夜桜コンサート(平安神宮)
春爛漫の京。一日の締めくくりに平安神宮の紅枝垂れを選んだ。
平安神宮の紅枝垂れと云えば谷崎潤一郎『細雪』の名場面が浮ぶ。
「・・・西の廻廓から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、海外にまでその美を謳われていると云う名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉みながら、毎年廻廓の門をくぐる迄はあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女達は、忽ち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、「あー」と、感歎の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年に亘って待ちつづけていたものなのである・・・」
長い間、この“紅の雲”にお目にかかる機会がなかった。が、「紅しだれコンサート」の宣伝が心をときめかせ、前売券を買いに走らせた。
暗闇の中に浮かぶ廻廊の向こうから紅枝垂れが一段と化粧を濃くして手招きする。先ず「海外にまでその美を謳われていると云う名木の桜」のある南神苑に案内される。
廻廊を潜るといきなり天から紅が降って来た。それも天を覆い尽くす塊である。眩しく光るライトに照らされた紅枝垂れの塊は谷崎ならずとも「怪しく」「胸ときめかす」代物で見物客はその姿に酔いしれる。桜も満開なら見物客も満開。漆黒の空から垂れ下がる紅枝垂れにはシャッターが止まらない。あちらこちらから「美しい」「見事だ」と称賛の声。“紅の雲”に覆われた神苑をゆっくりと進む。いや、ゆっくりとしか進めない。体中が紅色に染まった所で、東神苑に誘導された。
平安神宮には250本、20種類の桜があり、その半数近くが「紅枝垂れ」、正しくは「八重紅枝垂」とのこと。その八重紅枝垂が東神苑の中心に座る栖鳳池を取り囲む。咲き競うどの木も溢れんばかりの花弁をつけ、京の夜を彩り、『細雪』の如く豪華絢爛たる絵巻を繰り広げていた。
池の中央、西側に貴賓館の建物。そこが演奏会場で観客は池の周りに陣取って紅枝垂れ桜の御簾越しに舞台を見る仕掛け。特等席は人垣が二重三重に折り重なる。生憎、小雨がぱらつくが誰も気にしない。
演奏は若手のピアニスト・松本あすかであった。申し訳ないことだが、素晴らしい演奏も夜桜には勝てず、BGMに終わった気がしてならなかった。「また来年、紅枝垂れのもとでお会いしましょう」とのメッセージを大切にカバンに仕舞いこんだ。
妖艶な京女に魂を抜きとられたまま、ホテルに急ぎ、動から静へ、静から動へ、と目まぐるしく変った”京の春”の幕をとじた。(2010.04.11紀行)
(満開の八重紅枝垂:夜桜コンサート:池面の八重紅枝垂)
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