戦争で破壊された首里城には再建前まで、琉球大学のキャンパスが置かれていた。そのキャンパスに建てられた佐藤惣之助の詩碑は、再建に伴い、首里城北の虎瀬公園に移設された。小さな虎瀬公園を地図上で特定するのに苦労し、漸く、モノレール「儀保駅」近く(首里城北1km)と見当をつけて来た。
  タクシーの運転手に持参の地図を見せたが、「そんな公園は知らない」との返事に不安がよぎる。「儀保」駅近くで車を降り、洋品店で道順を聞く。細道の丘を登り「虎瀬公園」の看板を見つけ、ほっと一息。人の気配のない園内に踏み出した。頂上まで登るが惣之助は居ない。間違っている筈はないと反対側に下ると、保育園の建物の近くに、写真で見ていた詩碑を発見。慌てて近寄ろうとしたが「ハブに注意」の看板に身を引く。折角ここまで来たからには・・・と,中本さんに倣い小枝を拾ってとんとんと地面を叩いて、詩碑に近づいた。「しずかさよ 空しさよ/この首里の都の宵のいろを/誰にみせよう 眺めさせよう(詩「宵夏」一節)」の詩句が、陶芸家・浜田庄司が制作した陶板に乗っかって、日差しを浴びている。沖縄独特の石垣と赤瓦を漆喰で組み合わせたヒンプン型の塀(沖縄特有の魔除けの塀)を模した詩碑は珍品であった。
   
         (写真:首里城本殿:首里城・琉球舞踊:虎瀬公園・佐藤惣之助詩碑)
佐藤惣之助(m23−s17):神奈川県川崎生。サトウハチロー父佐藤紅緑に師事。詩人・作詞家・俳人として活躍。古賀正男と組んで世に出した「人生の並木道」などで有名だが、野球ファンなら阪神タイガース応援歌「六甲おろし」の作詞者としてお馴染。日本各地はもちろん満州、蒙古、朝鮮、中国各地、マニラにまで足を伸ばした旅行家でもあった。沖縄には大正11年に来て「琉球諸島風物詩集」著した。故郷川崎市民は友情と親愛を込めて、昭和34年にこの詩碑を贈った。
 
 ハブに襲われることなく、無事に、全ての行程を終え、儀保駅からモノレールで那覇空港へ。初めての沖縄におずおずと名刺を差し出し、苦難の歴史を今も背負い続ける沖縄のほんの一部を見た旅であったとの思いを抱いて、羽田に向かって飛び立った。写真400枚、訪碑数28基の土産の重みで、飛行機は少し遅れたが、無事に異世界から生還した。
  心残りは唯一、鹿児島・開聞岳麓で遥かに宮古島を眺めて立つ篠原鳳作句碑「しんしんと 肺碧きまで海の旅(2001年訪碑)と1000kmもの海を隔てて向かい合う、宮古島の鎌間嶺公園の同文の句碑であった。今一度、この壮大なロマンを訪ねて、”肺碧きまで”の海に来るように・・・との思し召しと思うことにして、古希の旅を終えた。
      
   (海洋博公園の海:鎮魂の花・ベンガルヤハズカズラ:海洋博公園エメラルドビーチ)
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