途中思っても見なかったお土産を拾った。小さなトルソが眼に飛び込んできた。近寄ると「H・TAKADA」のプレート。その先にも同じプレートの彫像が並ぶ。疲れを癒すには格好のお土産だと、プレートを覗きながら歩く。どうやらここは「野外ギャラリー」の様だ。予期して居なかった「高橋元吉」に出会う。立ち止まってしばらく休憩。詩人の鋭い眼差しから何かを教わろうとじっと眺める。台石には「高橋元吉は私の一生の友だった。生き方も歩き方も二人はずいぶん違っていた。しかし、自我の内部が命令するもの、精神の秩序、この点で二人は全く一つであった」と作者の言葉が記されていた。そんな二人の生き方を学ばねばと考えながら、「H・TAKADA」は「高田博厚」に間違いないと確信した。裸婦像は素通りしたが、道の両側の男性像だけは丹念に探した。若い宮沢賢治が居た、高村光太郎もガンジーも居た。4人ものお馴染の人に出逢ったひと時を過ごし、「ここにロマンロランやロダンが居たら、パリ左岸のプロムナードだ」と久しぶりにパリを訪れた気分になって高坂駅に着いた。
  「武蔵野は詩人の居る場所」「澄んだ冬空は遠くを見渡せる」「ボケても忘れていいこと、忘れてはならないこと」・・・とノートにメモして電車に乗った
     

  (常安寺・金子恵美子詩碑:高坂・高橋元吉像・同・宮沢賢治像:同・高村光太郎像)


鎌倉の高橋元吉
  
  1994年、故・高田博厚の鎌倉・稲村ケ崎のアトリエを訪ねた。高橋元吉詩碑が招いただけであって、高田家の許可を得ての訪問ではなかった。
  江ノ電稲村ケ崎駅から山手の細道を登る。急坂なので自転車を押しながら辿った。手にした「稲村ケ崎3−11」の地番を探すも道は入り組んでいて容易ではなかった。漸く、路地の奥まった一角、海岸を見下ろす高台に「高田」の表札を発見。静まった邸宅を恐る恐る覗く。数歩だけ敷地内に足を伸ばし、望遠で詩碑を写真に収めた。真っ白な壁に銅板陽刻の詩「散りしはなびらは 土にかへれど 咲きにし花は 天にかへるなり」を遠目で見た。二人の友情の証の建碑であろうから、佇む二体の像は高田博厚と高橋元吉に違いないと坂を降りた。

   (鎌倉・高田博厚アトリエ:同・詩碑:前橋高浜公園詩碑:前橋子供公園詩碑)
高橋元吉(たかはし もときち、1893年3月6日 - 1965年1月28日)は、群馬県前橋市出身。大正から昭和にかけて活躍した詩人。武者小路実篤、柳宗悦らの白樺派の文人と交遊、特に地元の萩原朔太郎とは相互に文学的影響を与え合った。萩原朔太郎が「清明にして純透、真に秋空の如く澄んだ著者の気品と、その永遠の未知国に対する浪漫的精神」と絶賛した詩人。詩碑は、鎌倉以外に、「前橋市大手町高浜公園」「前橋市亀泉町亀泉霊園高橋元吉墓地」「前橋市西片貝町前橋子供公園」の三基がある。
                  −p.06−      (アルバム)