井上靖 天体の植民地を詠う(処女詩集「北国」より)
  「高原」

  深夜二時、空襲警報下の大阪のある新聞社の地下編輯室で、やがて五分後には正確に市の上空を覆いつくすであろうB29の、重厚な機械音の出現を待つ退屈極まる怠惰な時間の一刻、私はつい二、三日前、妻と子供たちを疎開させてきたばかりの、中国山脈の尾根にある小さい山村を思い浮かべていた。そこは山奥というより、天に近いといった感じの部落で、そこでは風が常に北西から吹き、名知らぬ青い花をつけた雑草がやたらに多かった。いかなる時代が来ようと、その高原の一角には、年々歳歳、静かな白い夏雲は浮かび、雪深い冬の夜々は音もなくめくられてゆくことであろう。こう思って、ふと、私はむなしい淋しさに突き落された。安堵でもなかった。孤独感でもなかった。それは、あの、雌を山の穴に匿してきた生き物の、暗紫色の瞳の底にただよう、いのちの悲しみとでもいったものに似ていた。
  野分(一)

  漂泊の果てについに行きついた秋の落莫たるこころが、どうして冬のきびしい静けさに移りゆけるであろう。秋と冬の間の、どうにも出来ぬ谷の底から吹き上げてくる、いわば季節の慟哭とでも名付くべき風があった。それは日に何回となく、ここ中国山脈の尾根一帯の村々を二つに割り、満目のくま笹をゆるがせ、美作より伯耆へと吹き渡って行った。風道にひそむ猪の群れ群れが、牙をため地にひれ伏して耐えるのは、石をもそうけ立たせるその風の非常の凄じさではなく、それが遠のいて行った後の、うつろな十一月の陽の白い輝きであった。

  野分()

  丈高い草、いっせいに靡き伏し、石らことごとくそうけ、遠い山腹のあか土の崖は、昼の月をかざしてふしぎに傾いて見えた。ああ、いまもまた、私から遠く去り、いちじんの疾風とともに、みはるかす野面の涯に駈けぬけて行ったものよ。私はその面影と跫音を、むなしく、いつまでも追い求めていた。ついに、再び相会うなき悲しみと、別離の言葉さえ交さなかった悔恨に、冷たく、背を打たせ、おもてを打たせ。

写真上部:天体の植民地・日南町神福部落:下部:箱根仙石原の野分イメージ)