そうなのです。もう一つの仕事は、一緒に歩いてきた人々を忘れずに逢いに出かけることです。
   「てんまり」を残した母も、那智の浜辺から西の補陀落山へ旅立った弟も、奈良の二上山の「死者の書の世界」に旅立った親友も、・・・、旅立った先は「西方」と判っているのですから、時々、逢いに出かけなければなりません。
   私達が忘れない限り、親しい人も共に生きているのですから・・・。
   永劫の時の流れのほんの一断面を共に歩いた大切な人達ですから・・・。

   西方への旅の途上で
    「茜色の坂」で死を迎え撃つ主人公に付き添った香西節子がこう語りかけています
    「秋山さんは夕映えを見て死にたいと望んでいらっしゃるけれど、それは死が来てから見えてくるものではなくて、ほんとうは息をひきとるまで、精一杯生きたという充足感の中に潜んでいるのではないでしょうか」 読みながら、ここにも共感のアンダーラインを引きました。
   前にもご紹介した(2002.09「いしぶみ紀行・信州」)歌人・斎藤史の絶唱とその解説を再録して置きたいと思います。
    「死の側より照明(て)らせばことにかがやきて ひたくれなゐの生ならずやも」
   人は他人の死を知ることはできるけれど、自分の死を知覚することができない。だからこそ、何度も「死」の意味を探りあうのだろう。決して知り得ないものなのに、くり返し想像し、考えつづけてしまう。でも、それでは、生きて暮らしているこの世の「生」の意味はわかるのかといえば、これがわからない。結局、何ひとつ明らかにならないなかで、日々を生きる不思議に気づくばかりである。しかし、と一首はうたう。それでも、冥界から見返したとき、生きているこの場所はきっと、ひたくれないに輝いているにちがいない。いま生きている「ここ」こそが、光溢れる生命の場でありすべてなのだ、と。
   また、先人はこんな素晴しい生き方も教えてくれています。 江戸前期の禅僧正受老人の「一日暮し」という教えがあります。「一日を生き切るということは、全人生に匹敵する」という教えです。老いの道の歩き方の一つの道標でもあると思いますが・・・。
   茜色の坂に射す夕陽は、「すばやく地平に」、「最後まで誇りを失うまいと、毅然と」、「恥じらいに頬を染めて」「悶えつつ」と様々な様相を呈すると思います。どんな様相であっても夕陽の美しさには変りはなく、感動を誘います。 
   老々介護の帰途は何時も夕刻になります。機上から見る一筋の光の帯が海面を走る風景は素晴しいもので何度遭遇しても感動します。夕映えに照らし出された雲の上を「遠い昔から見てきた数々の風景」が横切って行くイメージを何時か詩にしてみたいと願っていますがなかなか実現できません。代わりに、清岡卓行の詩を贈ります。
   私達の向う方向は間違いなく西。西方は季節では「秋・収穫の時」を表すと言われています。
   人生の秋。それまで緑一色であった木々が一斉に夫々の色を主張し始める豊饒な色合いの時期であると思います。どうか、貴兄の持つ多様な色彩で美しく染め上げて下さい。
    「夕焼小焼」「赤とんぼ」「茜色の坂」を巡る旅は大変長い道程になりました。 最後までお読み頂き感謝しています。 どうか、くれぐれもご自愛下さり、心豊かな日々を送ってください。
                                                                                −2006.03.春を待つ日に−
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