二本松市霞ヶ城城址からの眺望。運良く二人の若人が立っていた。左手下方が「樹下の二人」詩碑
「樹下の二人」

−みちのくの安達が原の二本松 松の根かたに 人立てる見ゆ−

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのはよしませう。
あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。


智恵子の写真(借物)と二本松市の郊外安達郡安達町油井の智恵子生家。造り酒屋で軒には「花霞」と銘柄を示す看板。現在は記念館として保存されている。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔物のやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生まれたふるさと、
あの白い白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸ほう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力のある雰囲気に肌を洗ほう

二本松市霞ヶ城城址の春
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生まれたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

写真は二本松市霞ヶ城址からの安達太良連峰と智恵子の空
「あどけない話」

智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。
(s.03作)


この頃の東京ではまだ美しい青い空が見えたはず。それでも智恵子は故郷のの空を恋しがったという。
「晩餐」詩碑と智恵子紙絵「紫陽花」

この碑は神戸市の文化ホールにある。建物の南側壁面は智恵子の切紙絵「紫陽花」をタイル画にして広く覆い、下の植込の中に小さな御影石の碑が紫陽花を見上げる。

碑には「晩餐」の一節「日常の瑣事にいのちあれ/生活のくまぐまに緻密なる光彩あれ/われらのすべてに溢れこぼるるものあれ/われらつねにみちよ」と自筆で刻まれている。
新しい道を二人して歩み始めた歓びの詩、神戸市の花「紫陽花」、二人の合作は市民のホールに相応しく見事である。

                           

私の智恵子抄文学散歩 福島・二本松編