いしぶみ紀行・北海道 アルバム
 (2000.秋・2004.初夏)
2000.秋.

渡島当別の修道院  「静かな聖地」に
三木露風の詩碑を訪ねる

建物の中の小さな咳が聞こえてきそうな
静けさが張り詰めていた・・・

私の「新しい旅」への出発の鐘が音が
微かに聞こえたのは幻聴だったのだろうか
2000年秋.

函館近郊:上磯町茂辺地にて

鮭の遡上
「生死を賭けたドラマ」
凄まじいばかりの命の躍動に息を呑む
2000年.秋.

函館の夜景を見る.

「眼下に広がる天の川」
これ以上の説明はいたしません
皆様の記憶にも残っている
あの夜景ですから
2000年.秋.

大沼公園:「紅葉に染まる駒ヶ岳」

季節は秋の盛りであったが
用意してきた防寒具を全部着込んだ
北の大地は冬に向って
走りこんでいくようだった
2000年.秋.

登別温泉:「地獄谷の紅葉」

「どうです この紅葉は」と自慢したくなる
「北海道の秋」です
2000年.秋.

積丹半島:「風の道」

「行こうか 戻ろうか」と何回繰り返したことか
「歩く」と言うより「這い出す」他なかった
「何をおおげさな」と思われる方
一度お試しあれ
「行った人でなければその素晴しさは解りません」
2000年.秋.

積丹半島:神威岬の「荒ぶる神」

顔を引きつらせ、両手を柵に回して
必死に撮影した「究極の」一枚です
2004初夏.

大雪山連峰には
まだ厳しい冬の名残があったが
旭川の市街は
西洋タンポポに占領されていた

イラクに守備隊が行っている隙に・・・
(旭川市にて)
2004初夏.

美瑛:「せるぶの丘」のひまわり.

「ひまわりは どうして 空を向いているの 」

「そこが彼女のふるさとだからさ」
2004初夏.

美瑛:「花の滑走路」
.
北の大地の「じゃがいもの花」滑走路
旭川空港ではなく、ここ美瑛の
この滑走路に降りてみたいと誰しもが願う
2004年初夏.

美瑛:親子の作品「パッチワーク」

パッチワークの大地の向うから 親子の木がこちらを眺めていた
ちょうど私達のように 仲良く並んで
2004年.初夏.

美瑛:「天使の空港」」

ここは天使の舞い降りる空港、
滑走路には花の誘導灯が並ぶ
2004年初夏.

美瑛:「せるぶの丘花園」

昨晩の内に 大雪山の中腹のお花畑が
引越しを終えていた
2004年初夏.

中富良野・富田ファーム:「ラベンダー畑」

夜に降ったばかりの
紫水晶の雨が大地を染めていた
これは星の王子様が乗っていた
星の欠片(かけら)にちがいない
2004年初夏.

中富良野・富田ファーム「パステル畑 」

誰かさんが誤って クレヨン箱を落っことしたら パステル色が飛び散った
「どうです見事でしょう」
思わず自慢したくなる努力の結晶です
聞こえませんか
長い氷雪に耐えた生命の合唱が
2004年初夏.

中富良野・富田ファーム:「コクリコ.」

真赤なコクリコの群落に出会いたいとの
夢が漸く叶いました.
与謝野晶子の絶唱
「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)」
は忘れられない歌です.
この歌の碑を求めて、パリを走りましたから.
でもまだパリでは逢えないのです.
2004年初夏.

中富良野・富田ファーム:「ラベンダーのベット」

誰もが一度は
高貴なこのベットで眠りたいと思うだろう
優しい眠りを誘う甘い香りが
全てを支配している
2004年初夏

芦別市郊外: 「夫婦滝」

はるばる芦別の山奥の「夫婦滝」に
葛西善蔵の「雪おんな」の碑に会いに行った
「雪おんな」に恋することを恐れ
態々初夏を選んで
2004年初夏.

一日、国木田独歩の足跡を訪ねて
空知川の岸辺をさまよった
満々と雪解け水を湛えて流れる大河は
夏の雲も運んでいた
(上芦別公園の空知川)
2004年初夏.

「三笠市の炭鉱住宅」

かつてここは炭鉱で栄えた
立ち並ぶ炭鉱住宅には
「幸せの黄色いハンカチ」は消え
代って哀愁の旗が風に靡き ・・・
2004年初夏.

美唄市:安田侃彫刻美術館にて

勝手に「凱旋門」と名付けた彫刻 (正式名「天もく」)

美唄市の郊外の廃校の跡地に造られた
世界的彫刻家安田侃の美術館 名づけて
「アルテピアッツァ美唄」
飾られていた谷川俊太郎の詩句を借りて
「ビバ 美唄!」
と思わず叫んだ
2004年初夏.

美唄市:安田侃彫刻美術館にて
「彫刻を護る白樺」

爽やかな風が
白樺のカーテンを揺らせ
緑と白銀の木の葉を
撒き散らせた
初夏だ
白樺と一緒に
天に向って手を伸ばす
その青い色が欲しいと
−p.15−
いしぶみ紀行・北海道の先頭へ
ホームページへ戻る