
最終日。
昨夜は地元の美味しいものをいただいてちょっとお酒を過ごしました。(^^;
今日は最終日。
高知龍馬空港16:15発のJAL496便に乗ります。出発時刻の1時間半前くらいには空港にいたいので、市内から空港までの所用時間を考えると使える時間は13:00過ぎくらいまで。
朝食をとり、荷物をホテルのロッカーに預けて市内へ。最近、こういう宿泊者専用の無料ロッカーを設けるホテル、増えてきましたね。東横インもやってほしいけど。(^^;
はりまや橋交差点でまずは土佐電を一枚撮って。(^^;

五台山に行ってみることにしました。
ここに行くのには周遊バスもあるのですが、人が多そうなのと予約が面倒なのとでパス。路線バスを使っていくことにします。はりまや橋から路線バスが出ていて10分ちょっとで「五台山農協前」というバス停に着きます。そこから五台山竹林寺は歩いて10分。

ちょっと急な石段。まだ朝8時半過ぎなんだけど、今日はけっこう暑い…。

五台山竹林寺は四国八十八箇所霊場の第三十一番札所。
真言宗智山派のお寺です。縁起は古く、神亀元年(724年)に行基によって創建開基されたと伝えられています。本尊は文殊菩薩ですが八十八箇所霊場の中で文殊菩薩を主尊としているのはこのお寺だけだと言われています。
このすぐ近くにはNHK朝ドラ「らんまん」の縁となった県立牧野植物園や牧野富太郎記念館があるのですが、残念ながら今日ばかりはそちらまで参観してる時間と取れそうもありません。
五重塔。これは昭和になって建立されたもの。もともとここにあったのは三重塔だったそうです。

書院から庭園を眺めて。この書院は藩主参詣の際の接待所として造営されたものだそうです。


竹林寺からちょっと歩いていくと展望テラスがあって、高知市内を一望できます。

そこからちょっと坂を下ったところ。

猫がいる。(^^;

なんだか、ボス猫っぽい感じですが。不敵な面構え。(^^;
ニラまれちゃいました。
そのちょっと横にも。

この子は女の子でしょうかね??
どちらも避妊去勢は受けていないみたいなので、野良猫と言っていいのかな?
それにしても体格はいいんで、ゴハンは誰かからもらってるんでしょうね~。

さらに歩いて下っていくと、また猫が。

この辺、猫多いですね。(^^;
どの子も太ってる。

いや、五台山にも猫がいるという話は聞いていました。しかし具体的にどのあたりにいるのかはわからなかったので遭遇は期待していなかったんですが、こうしてみると何群かに分かれて分布しているのかもしれないですね。下の方にいる子たちは駐車場に比較的近い位置で群れていましたから、たぶん駐車場でゴハンもらってるおんかもしれません。




五台山を下り、歩いて土佐電の通りへ。徒歩20分ちょっとで知寄町に出ます。
残り時間ももうわずか。
せっかく高知に来たんだから…高知駅前に戻ってバスに乗ります。
やってきたのは…、

桂浜です。
高知と言えば、まずここですよね。

坂本龍馬の像。

坂本龍馬についてはもうさまざまなドラマや小説に描かれているのでいまさら説明する必要はないでしょう。私も幕末モノの小説は大好きなのでさんざん読みました。代表的なのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」でしょうか。司馬遼太郎は「竜馬」と書いてるんですが、一般的には「龍馬」と表記しますよね。私も「龍馬」のほうがしっくりくる。
まあ名前の表記なんかはどっちでもいいけど、ひとつだけ言えるのはこの男がいなかったら明治維新はなし得なかったし、その後の日本の姿も違っていただろうということ。
幕末そして明治維新といえばいろんな人物が綺羅星のように現れた時期。日本の歴史の中でもこんな時期は稀有でしょう。西郷隆盛、勝海舟、高杉晋作、大久保利通、木戸孝允、陸奥宗光…このうちの一人でも今の日本にいてくれたなら、と思ったりもしますが。(^^;
しかし坂本龍馬だけは別格なんですよね。他の人たちも偉大ではありましたが、龍馬はそれらの人たちよりも一次元いや二次元も考え方が突出している。飛び上がっている。西郷にしても大久保にしても結局は藩あるいは新政府という「組織」というものに縛られて動こうとしましたが、龍馬は違った。それが証拠に新政府の閣僚案を龍馬自身が作った中に自分の名を入れていない。
それを不審に思った西郷隆盛が「この中に坂本さぁの名がありもはんが?」と聞くと「わしゃ新政府の役人にはならん。窮屈なのはきらいじゃ」といい放ったという。
「わしは世界の海援隊をやるきに」
海援隊…今でいう総合商社のようなものです。
要は、日本はもう国の中でゴチャゴチャやるよりも世界を相手に「商売」していくべきで、自分もそれをやりたい。そのためには幕藩体制は邪魔だから倒す、そのためには努力を惜しまない。そういう考えの人だったんですね。
「人間は組織に属したが最後、できるはずのことができなくなってしまう」と言ったのは南方熊楠でしたが、それに近い思いを龍馬も持っていたかもしれません。
龍馬にはそんなちっぽけな「組織」よりも「日本」という存在があった。でもだからと言ってその舵取りをしようという野心はない。龍馬にとっては…幕府がどうだとか、新政府がどうだとか、薩摩がどうだとか、長州がどうだとか、武士がどうだとか、商人がどうだとか…そんなことはどうでもよかった。彼が目を向けていたのは海の向こうを相手に大きな商売をやってみたい、ということだったのでしょう。そういう意味で人間のスケールが違っていた。かろうじて彼に匹敵できる広い視野を持っていたのは勝海舟くらいでしょう。
その勝海舟がこう言ってます。
「薩長同盟、大政奉還、ありゃあ全部龍馬ひとりがやったことさ」と。

太平洋を望むこの桂浜の地は、特に龍馬ゆかりの地というほどの場所ではありません。脱藩を許されて土佐に戻った際に立ち寄ったに過ぎない場所です。
ただ、世界に目を向けていた龍馬のイメージとしてはここが一番しっくりくるかもしれないですね。

龍馬は今の日本を見て、特に今の日本の政治家を見てどう思っているでしょうね…。
令和の世に戻ってきてもぅ一度「日本を洗濯」してほしいと思いますが。
でも龍馬はこう言うかもしれないですね。
「わしにも今の日本はどうしようもないきに」と。(^^;
浜辺を歩いていたら、かわいいワンちゃんが。

地元の方がワンちゃんを散歩させてるみたいです。

二匹並んでモデルさんをお願いしました♪

なかなかのフォトジェニックで。

そうだねぇ。(^^;
時間が来ました。高知駅に戻るバスに乗らなくてはなりません。
今回は長旅でした。
今までは「瀬戸内」に絞っての旅でしたが、今回はそれに高知を加えて四国四県をめぐる形になりました。当初の予報よりはお天気は好転し、まずまずの旅でしたね。たくさんの猫たちに会うこともできましたし。
今、この絵日記を執筆しているのはもう12月。すでに秋の瀬戸内行きからも帰ってきています。いわば周回遅れのUP。(^^;
それでもこの5月の旅のことはまだ鮮明に、それこそ昨日のことのように脳裏に残ってます。
「なんでわざわざ旅日記なんか書くの?疲れるだけじゃない?時間が経てば思い出が薄れるんじゃない?」なんてことを時々言われます。でもそんなことはないんですよ。時間が経って印象が薄れるような旅だったら始めからしません。(^^;
人と会い、猫と会い、土地を訪れ、自然を目で、歴史を感じる、眼だけじゃなくて五感で。
私にとって旅とは常に濃厚で、何度同じ場所を訪れようとも常に新鮮な体験なのです。
それを帰ってきてから文章を書くという形でまた追体験するのが楽しくてたまらないのです。他人様に見てもらうというより、正直言って自己満足で終わってもいい…自分のために書いている絵日記なんです。(^^;
気が付けば、明後日からは北海道。
今度はタンチョウの舞う姿を目に焼き付けるために。
次回の絵日記も周回遅れになるかもしれませんが…また!(^^;