それにしても昨日は地下鉄に乗って四条烏丸まで来て、ホテルまでのわずかな距離を歩いただけなんだけど、いやインバウンドの方の多いのなんの。(^^;
聞こえるのは英語やドイツ語ばかりで日本語がほとんど聞こえないんじゃないかと錯覚するくらい。
ちょっとコンビニに入っても外人さんだらけ。
やっぱり京都はすごいわ。(^^;
さすがに欧米系の方ばかりでしたけどね。中国・韓国といったアジアの方はあまり見なかった。こと京都や奈良については「この手の文化はこっちのほうが本家」と思ってるのかもしれないけど。
さてこの日は朝早くホテルを出て、地下鉄と国鉄奈良線を乗り継いで木津へ。さらにそこで関西線に乗り換えて加茂へ。
もうここまでくると奈良との県境です。
加茂の駅前から山の家行きのバスに乗ります。乗客は私含めて二人だけ。
運転手さんは女性。
バスは次第に山深い里に分け入っていき、木々の枝が窓にかかるような細い道を左右にカーブを繰り返しながら進みます。ところどころに集落が点在するだけ。時にはすれ違いもできないような細い曲がりくねった道を運転手さんは絶妙なハンドリングでバスを操って進みます。
もう一人のお客さんは途中の岩船寺で下車し、とうとう乗客は私一人に。
加茂駅前から30分。浄瑠璃寺前で下車。
バス停から細い道を入っていくと、お寺の参道。
そう、ここが今日のメインの目的地。京都市内の喧騒が嘘のような静かなところ。
ここは平安時代:永承二年(1047年)に創建されたと伝えられる古刹ですが、訪れる観光客は稀です。それは知名度が低いいうことの他に、山奥に位置していてアクセスが不便なのと他の観光名所から離れていることが影響しているようですね。ただ、古刹巡りをしている人たちには知られているお寺ではあるんですが…。
参道を進んでいくと行く手に道の真ん中に何か黒っぽいものが。
猫でした。
一匹じゃないんですよね。
そう、ここ、実は「猫寺」として知られているんです。
実は私が京都で一番訪れてみたかったのがここだったんですよ。
すぐそばには畑。そして家々の屋根。いかにも素朴な山里の風景の中に猫がいる…こういう絵、撮れそうで撮れないですよね。
近年、定番観光地に飽き足らず穴場を探す外国人観光客も多いようですが、ここはあまり知られてないようです。
昨夜降った雨に濡れた山門。
このあたりは自然環境保全地域に指定されているんですね。そういう意味ではあまり外国人に知られたくないような気も。
山門をくぐると…、
大きな池の向こうに本堂。
その本堂の側に立って振り返れば三重塔。
これは「浄土式庭園」と呼ばれるもので、行けの東側を此岸(この世)、西側を彼岸(あの世)になぞらえ、東側の三重塔にはこの世にあって人々の苦しみを除く薬師如来が、西側の本堂には西方極楽浄土にあって人々を迎える阿弥陀如来がそれぞれ安置されています
そしてその本堂には九体の阿弥陀如来像が今もあるのですが、平安時代に造られたものがそのまま現存しているという他に類を見ないものです。この九体の阿弥陀如来像から「九体寺」という別名がついているほど。もちろんこれらは国宝に指定されています。
撮影禁止になっているので写真を掲載することはできませんが、観覧パンフレットを載せておきましょう。
私も参観してきましたが、本堂内部は人工の光は最小限にとどめられていて、細い窓から差し込むわずかな光とロウソクの灯りだけに照らされた阿弥陀如来像は荘厳でした。
そしてこの本堂自体も国宝に指定されています。
嘉承二年(1107年)に再建されたもので、その後幾度かの修理を経て現存しているものです。
そんな由緒ある古刹に、いつのころからか猫たちが集まり棲みつくようになったそうな。
次から次から出てきます。(^^;
似たような毛色の子も多いけど、よく見ると微妙に違う。
特に参拝客を警戒する様子もなく…人慣れしてますね。
「浄土」を歩く猫たち…。
みんな毛並みもいい。
静かな環境。ちょっとお寺を出れば広い畑で遊び放題。怒る人もいない。彼らにとっては最高の環境かも。
たぶんゴハンはお寺であげているんでしょうね。
二時間ほどここにいました。
訪れてくる観光客もほとんどおらず、静かな時間を猫たちと過ごすことができました。
ここ、紅葉もきれいなんだろうなぁ…あるいは早春の時期の趣もいいかも。そんな時期に再訪したいですね。
11:14のバスで加茂に戻って、朝来たルートを逆にたどって京都市内に戻ります。
午前中曇っていた空は晴れ上がって…ちょっと暑いくらい。
行きたいところは行ったので今日はこれで終わりでもいいんですが、まだ時間が早い。ちょっと市内をぶらつくことに。
八坂神社。
さすがに人が多かったですね、外国人日本人入り乱れて賑やかというかうるさいというか。(^^;
どうもこういう場所は私は苦手。
つつじがきれいでしたけどね。
五条大橋から望む鴨川。
京都。実は私は一年半暮らしたことがあります。大学を出て社会人一年生になった年。今から四十年以上も前ですが…。
入社後の半年間の研修を終えて配属されたのが京都の営業所。当時、新人は出身地から遠隔地に配属されるという企業が多かったですが、私がいた会社もそれでした。関東人は関西や九州に、関西人は関東や東北・北海道に…あえて自分が生まれ育ったところと違う場所に送り込まれて修業を積まされる。言い換えれば強制的に「独り立ち」させられる、それが当たり前でした。地元のこだわるようなヤツは「じゃあ辞めてもいいんだよ」と言われる。今そんなこと言ったら問題にされるでしょうけど、当時はそれが常識だった…。
それはわかっていたけど、京都での生活はカルチャーショックそのものでしたね。
京都って独特なんですよ。関東人は大阪と京都を一緒に考えがちだけど、全然違う。京都人の感覚に慣れるまで半年かかりましたよ。いい先輩がいたからもったけど、一人だったらノイローゼになってたかもしれない。(^^;
京都の人は「相手に合わせる」ということをあまりしません。
それと「一見はん」と「お馴染みはん」を露骨に区別するあの人付き合い。最初はなんで??の連続。
でもそれに慣れないと営業なんかできないんですよね。後になってやっとわかったけど、あれも京都の人が長年の間に培った生活の知恵なんですよね。ここで生きていくためには「いい仲介者を見つける」ということが大事なんだと。そしてそれは、営業をしていくうえで日本全国どこでも通用する手段なんだと。いい勉強をさせてもらったと思ってます。
あと参ったのは地理。
よく「京都の町は碁盤の目になってるからわかりやすい」と言われますけど、それはあくまで地図上でのことで、実際に歩いてみるとなまじ規則正しく碁盤の目になってるおかげでかえって迷いやすいんですよ。方向感覚がわからなくなってくる。昼間は太陽の方角でなんとなく見当はついても夜になると自分がいま北を向いてるのか東を向いてるのかもわからなくなることがありますこれが東京のように曲がりくねった道や袋小路があればかえってわかるんだけど、どこもかしこも四角になってると、慣れていない人間は確実に「ラビリンス」状態になります。
だから昔から歌われている手まり唄の歌詞を真剣に覚えましたよ。
通りの名前を覚えないと京都では暮らせませんから。
♪丸竹夷に(二) 押し御池~♪
♪姉さん(三)六角 蛸錦~♪
♪四綾仏高 松万五条♪
♪雪駄ちゃらちゃら 魚の棚~♪
……。
今となっては懐かしい思い出ですね。
四条河原町から阪急電車に乗ります。桂で嵐山線に乗り換えて松尾大社前で下車。
10分ほど歩くと梅宮大社。
ここは酒造りの神様が祀られています。酒樽がたくさん。(^^;
ここも近年は猫がいることで有名になりましたね。
ここも今日は静かでした。土日はもっと人出があるんでしょうけどね。嵐山が近いんでけっこう外国人も来ると聞いていたんですが、この日は姿を見ませんでした。
この白い子が行ったり来たり。(^^;
モデルさんにもなってくれました。
この神社のマスコット的存在みたいです。
ここから嵐山の渡月橋までは歩いても30分弱。行ってみようかなと思ったんですが、あの人の多さを想像するとやはり足が向かない…駅に戻って、早めにホテルに戻ることにしました。
さあ、明日は最終日です。