室蘭本線 昭和50年春〜おまけ

 それにしても、この頃の写真を見てみると、蒸気機関車はもとより、今はもう見られなくなってしまった車両や光景も多かったんだなぁ、というのがよくわかります。昭和50年の写真にはなぜかあまり目立たないんですが(正面撃ちばっかりやってたせいかもしれない)その半年前、あるいは1年前の写真を見るとよくわかります。
 もうちょっと時計の針を戻してみましょう、昭和48年夏の白老・・・。
 蒸機の牽く貨物列車といえば、誰しもイメージに描くのは黒い貨車の長い行列。
 たとえば・・・ 
  D51+ワム+ワム+ワム+ワラ+ワラ+ツム+ワム+トラ+トラ+トラ+タキ+タキ+タム+ワム+レム+レム+レム+ワム+チ+チ+ワム+トラ+ワラ+ワム+ワム+ヨ
 ・・・といったような(いちいち書くなっ!)。レムは白いけど。
 じゃなければ、セキの長い行列とか・・・。
 子供の頃、踏切を通過していく長い貨車の記号を意味もわからず大声で読んで遊んでいたことを思い出しますが。(^^;
 ところが、ここ室蘭本線は貨物の大動脈でもあって、そうした「黒貨車行列」ばかりではなく、この頃はもうコンテナ車がかなり編成に入ってくるようになっていました。
 「蒸機にコンテナは似合わないよ〜〜」とか言いながら、渋い顔してカメラを向けたものです。ところがこの緑色の「国鉄コンテナ」も、今はもう遠い昔の思い出になってしまいましたね。
 (↓1973.8.2 白老〜荻野 5562レ)

白老〜荻野 D51貨物

 そう、冷蔵車も最近は見なくなったような・・・。私は貨車は全然詳しくないんだけど、形式としては確か消滅したはず・・・。D51の次位にいきなり冷蔵車の行列がついていたんで慌てて撮った1枚。白老駅を通過する上り貨物。
 (1973.8.2 白老駅 2350レ)

白老駅 D51貨物

 白老駅の西側に小さな陸橋があって、そこから撮ったんですが・・・なにせこの日は北海道には珍しく蒸し暑い日で、歩くのシンドかったんですよね。「とにかくどんな形でも蒸機撮れればいいや〜」という、なんとも安直な考えの中学生でした。(^^;
 白老の駅で貨車の解結をやっていたD51が私たちの下を行ったり来たり・・・。カマ次位には車掌車。いつでもどこでもアタリマエのように見られたこの「ヨ」も今は実用上は絶滅してしまいましたものね〜〜。前か後ろにこの「ヨ」(またはワフ)がついていないと貨物列車じゃない!と素朴に信じ込んでいた私でしたが・・・。(^^;
 まさか後年、復活蒸機の引くイベント列車に組み込まれることになるとは思いませんでした。
 ちなみに、このD51の煙突はギースルです。正面から見たらちょっとミットモナイんですよね、ギースルD51ってのは。
 で・・・全然関係ないですが、背後の道路の向こうにあるお店、この写真だとわかりにくいですが「さくらカラー」の看板出しているんですよね。このブランド名も今はなき・・・ですなぁ。(^^;
 (↓1973.8.2 白老〜荻野 4482レ)

白老〜荻野 D51貨物

 同じ陸橋から室蘭方面から来る下り貨物を・・・。ドスカの下り貨物。(^^;
 これも「正面から撮るとブカッコウ」の代表、ナメクジのD5153。せめて煙吐いてくれてれば絵になるんですが、こうやって正面上から見ると煙突回りがなんだかヘンなんですよね。
 (↓1973.8.2 荻野〜白老 5993レ)

荻野〜白老 D5153貨物

 白老駅に入線してくるC57牽引222レ。岩見沢を5:50に出た列車も白老まで来ると8:30を回ります。ちょうど222レが入ってくる数分前に下り急行で白老に着いた私たちは跨線橋から入線を撮るハメになりました・・・。
 (1973.7.28 白老駅 222レ)

白老駅 C5738 222レ

 この年は何で白老で2日も撮ったんだろう???何もない場所なんですよね。有名な牧場カットは社台のほうが近いんです。でも、実はヘンなこだわりがあって・・・。
 発車していく222レをやはり跨線橋から。よく見るとC57の次位にオハニ、その次にマニ36・・・こういう編成は珍しかったですね。通常はいきなりマニ36なんだけど。この日は雨で、夏には珍しく煙が盛大に上がりました。駅構内に貨車が留置してある姿もなんとなく懐かしい・・・。
 (1973.7.28 白老駅 222レ)

白老駅 C5738 222レ

 そのこだわりというのがこの場所・・・。白老の西方、荻野との間の大きな川を渡る橋梁。ここで、遠めにC57客車の全編成を入れて撮りたいということを考えていたんです。ここは、向こう側は海で、背後に何もなく(道路橋は隠れる)きれいな列車の姿が出る場所でした。実は5日前にこの同じ場所から227レを狙ったのですが、その時はあろうことか、フィルムを巻き忘れて撮れず・・・さすがに229レを同じ場所で、というワケにはいかず、東京に帰る前日、行程最終日に再びリベンジ、ということになったのです。
 広い川の間に中洲があって、そこまで延々歩きました。駅から40分くらいかかったかな・・・今見ると、「なんでこんな場所にこだわったんだろ?」と思ってしまいますが、その頃はこういう童話的な絵を撮りたかったという願望が強かったみたいで。(1973.8.2 白老〜荻野 1294レ)

白老〜荻野 D51貨物

 でもそんな絵も煙が出てナンボ。結局リベンジはしたものの、ご覧の通り肝心のC57は見事なスカで。(^^;
 それでも、30年経った今でもここは思い出深い場所なんですよね・・・今はどうなってるかな。
 (1973.8.2 荻野〜白老 229レ)

荻野〜白老 229レ

 あれから30年・・・手元に残っているのはあまり人様には見せられない未熟な写真ばかりだけど、なぜか想い出だけは不思議に鮮明に残ってます。
 願わくば、今の装備を持ってあの頃にタイムスリップできたらと・・・。(^^;