室蘭本線 昭和50年春

 「蒸気機関車がこの11月で国鉄線上から消滅する」・・・それまで鉄道雑誌上で幾度となく言われてきたことがらが、ついに新聞紙上に大きく取り上げられることになったのはその年の1月でした。
 それまでの数年間、いくつかの線区で撮影を経験していた私でしたが、いかんせん小学生・中学生の身では年間2回遠出できるのがやっと。おまけにただシャッター押すだけで満足していたせいか、写真の腕はまったく上達しない。それに加えて手に持っているカメラは42mm固定焦点。「せめてあと2年待ってくれれば・・・」アルバイトをして一眼レフを買うこともできるのに・・・。
 しかし、時は待ってくれませんでした。「冬の煙はこれが最後。C57の客車列車も・・・」その思いに居ても立ってもいられず、春休み突入と同時に北へ向かいました。許された日程はわずか6日間。42mm固定焦点のオリンパス35SPを持って・・・。
 (←1975.4.2 岩見沢駅 222レ)


 
 このころ、室蘭本線のC57は岩見沢第一機関区に38、44、57、135、144の5両が在籍、「5淑女」と呼ばれていました。とは言っても、保守の良かった宮崎のC57とは比べ物にならないくらい煤けた姿をしていました。
 しかし、南の僚機と違って最後まで客車列車の先頭に立っているその姿に私は惹かれていました。このころ、まだ常紋のD51も北の96も健在だったのですが、あえて限られた日程の中、室蘭本線に3日間を割いたのは、1本でも多く「本物の汽車」を写したい、という気持ちからでした。
(1975.3.30 登別〜富浦 222レ)


 C57の牽く3往復の列車(このころ、226レ・228レ・230レはすでにDD51が牽引)のうち、224レだけは長万部行の直通で(東室蘭からはDD51牽引)C57の次位には荷物車(マニ36)が3両ついていました。
 当時、機関車の次位が一般客車じゃない、というのがどうも気に入らなくて、上り列車は撮り方に苦しんだものです。今から考えれば貴重なんですが・・・この荷物専用車は。
 写真左側の山は倶多楽山ですが、なまじ山を入れて撮ろう、などと考えたために、なんとなく間延びした写真になってしまいました・・・。
(1975.3.30 登別〜富浦 224レ)


 室蘭本線はほとんどが平坦線だったため、煙を吐く姿を撮ろうと思ったら、客車列車の場合はどうしても駅発車かその近く、ということになりました。
白老〜社台の牧場バックは有名でしたが、時として煙が薄いときがあり、私は敬遠しがちでしたね。
 そんな中、この登別は上り列車は発車後ゆるい上り勾配がしばらく続く場所で、急行停車駅であることも手伝って、私にとってはお気に入りの場所でした。
 ただ、あまりにもひっきりなしに蒸機列車がやってくるので同じようなアングルの写真がたくさんできてしまって・・・それでも後撃ちをやったカットというのは数えるほどしかありません。
(1975.3.30 登別〜富浦 224レ)

 登別を発車するC57144牽引229レ。登別発14:54。
 この季節、もうこの時間は太陽も低くなっています。
 この列車を撮り終えると、上りのDCで室蘭YHへ向かうか、それとも急行「ちとせ」で札幌に出て「大雪」「利尻」に乗るか、というのが私のパターンでした。
その気になれば、この後にも日没まで何本かD51の牽く貨物列車があったのですが、「いいや、貨物だから」と撮らなかったことが多かったですね。今考えればバチアタリな・・・。それだけ今考えればウソのような密度で蒸機列車が走っていたのです、この室蘭本線。
(1975.3.30 登別〜虎杖浜 229レ)


 室蘭始発の客車列車の中で、唯一D51牽引の列車がありました。単にD51牽引であるという理由で、私はこの列車を移動列車にしていました。
 輪西発8:03。室蘭YHで朝食を取って駅まで歩くと、ちょうどこの列車がやってきます。
(1975.3.31 輪西駅 225レ)

 なんか、こんなこと書いてるとD51はほとんど撮らなかったみたいに思われてしまいますが、そんなことはありません。ただ、この室蘭本線の主役はあくまでC57、(というより蒸機客車列車)と考えていましたので、他の線区に比べると気合が入っていなかったのも事実かも・・・(^^;)
 この場所は有名撮影地だった栗山〜栗丘のトンネル近くにある広い足場。ここからだと栗丘方向がよく見える場所ですが、トンネルを出てくる下り列車はほとんど絶気になります。早朝の時間帯に、D51が牽引する客車列車が2本ありますが(820レ、221レ)栗山側に移動するのがおっくうで、ここで撮ってしまいました。柵が写りこんでますね。やっぱり気合が抜けていたのでしょうか?
 牽引機はナメクジのD5159でした。
(1975.4.2 栗山〜栗丘 221レ)


 室蘭本線はどちらかといえば、単機回送列車は少なかったのですが、それでも時々D51の単機がやってきました。それらは正規の単機列車のスジとは別に、貨物列車のスジに貨車がつかず、結果として単機になったものが多かったようです。
 今でこそ「単機回送」というと皆さん色めき立ちますが、当時は「なんだよ、単コロかよ」とカメラを向けなかった人も多かったようです。
 「列車を牽いてないと絵にならない」と思ってましたから・・・。
(1975.4.2 栗山〜栗丘 下り単機/列番不明)

 栗丘駅の北側はだだっ広い平地。
3月とはいえ、吹き渡る風が身にしみる場所です。
 この日は特に風が強く、D51の煙も思い切り倒されてしまいました。私の友人は線路の反対側にいたのですが、「D51より先に煙が来た!」とあとでボヤくことしきり。135mmで引いた絵を狙っていたようです。
 望遠レンズなど持っていなかった私は、心の中で「ザマーミロ!」と思ってしまいました。(子供だったな〜)
(1975.4.2 栗沢〜栗丘 4482レ)

 私が珍しくD51牽引の225レをマジメに(?)撮った写真。(でも画面が傾いてる・・・)
 丁度このとき、町議会選挙でもあったのでしょうか、「○○をよろしくお願いします!」と宣伝カーが叫びながら走り回っていました。
 私たちの前に何度目か現れたとき、「SLファンの皆さん、ご苦労様です!いい写真を撮って下さい!」と「激励」されてしまいました。
 そこここにいた鉄ちゃんからパチパチ・・・と拍手の嵐!栗山町に住んでたら投票してあげたのに・・・。(あ、でも未成年だから選挙権ないか)
(1975.4.2 栗山〜栗丘 225レ)