「みかん・絵日記」考  〜我が家の動物誌〜


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「みかん・絵日記」は子供向けの漫画であるにも関わらず、そこには時折「死」というテーマが扱われています。
先に書いたタツゾウじいさんの話は飼い主である人間の死。
そして、9巻では猫の死が取りあげられます。
みかんとキリーが相思相愛になり二匹の恋がおだやかに進む中、周囲の猫仲間もカップル続出。ついには犬の桃治郎までレイラという白い犬の父親になっていたことが発覚。吐夢とみかんは連れだってその子犬を見に行こうとしますが、その途中、ごみ箱をあさる年寄り猫を見かけます。かわいそうに思って家に連れ帰りエサを食べさせ…。
やがて「ギー」という名のその年寄り猫は草凪家の通い猫になることに。
若いころこの町で飼われていて、オス猫のテリトリー拡張でしばらく家を離れたら飼い主は引っ越していてノラに。その後あちこちを渡り歩いて十数年…。今年55歳になる稲垣先生を見て、みかんに向かって
「ほーか。あのガンコ者も嫁をもろうたか。四十に手が届くとゆーにいつまでも独身じゃと心配しとったが…」
と言ったことから、実年齢は
(55-40)+α、つまり少なくとも15〜16歳であることが発覚!
猫で15〜16歳以上ということは、人間にすれば90歳くらいということに…。
それを知った草凪一家は「ギー」を正式に飼い猫として家の中に入れるのでした。
寒い冬の日々。みかんとともに草凪家で幸せに暮らすギーでしたが、小雨が数日続いてようやく晴れた日がめぐってきた朝、
「ギーさん、外、行かない?オレ、行くよ」
そう呼びかけるみかんに、
「うん…行っといで」
「え?せっかく晴れたのに、いいの?」
「うむ。わしゃもう少しここで陽にあたっているよ」
「んじゃ、先行くね?気が向いたらおいでね」
そして…暖かい陽に当たりながら…。
「…こんなふうに陽にあたってぬくぬくしていられるのが一番ええよ…」
「…わしは幸せじゃのう…みんな、ありがとう…」

「みかん・絵日記」 9巻

(白泉社「みかん・絵日記」 第9巻 より)

眠るように、笑うように…静かに息を引き取ったギーじいさん。
「うそ…だあ…。だってギーさん、今朝だってふつうで、そんなそぶり、全然なくて…」
「眠ったのかな、って思ったの…洗濯終わって見た時は、気落ちよさそうに眠っているなって…」
涙に暮れるみかんと草凪家の人々。
その時、藤治郎が言います。
「…いいや、大往生って言うんだよ…ギーは存分に生きて死んだんだよ。なあ?ギーはきっとあんなふうに死にたかったんだと思わないかい?」
動物を飼うと、必ず付きまとってくるのは「いつかは死んでしまう」ということ。
犬にしろ、猫にしろ、その寿命は人間よりもはるかに短い。ということは、天寿を全うしたとしてもその死をこの目で見なければならない、ということになります。
だから…。
「死ぬのを見るのがいやだから、私は動物を飼わない」という人がときどきいます。
そういう人はすごく優しい人なんだと思う。でも反面、それってすごく寂しい考え方かもしれないとも思います。
中には、死期が近づいた動物を動物病院や保健所に預けて「安楽死」させようとする人もいます。でもそれは、当の動物たちにとって本当に幸せなことなのでしょうか?仮に「安楽死」という手段を選んだにしろ、ともに暮らした家族と引き離された場所で最期を迎えさせるなんて…本当にそれでいいの?と。
この話、猫の話として描かれていますが、振り返って私たち人間の世界を見てみると似たようなことがありませんか?
年を取った親を施設に隔離してしまい、家族と離れたところで最期を迎えさせるような人、けっこう多いですよね。確かに介護が大変で同居するのは無理、というケースはあるでしょう。だから一概に言うことはできないけれど…まあ、いいや。ここはあくまで犬、猫の話ということで。
私の家は死んだ妻も含めて一家そろって動物好きで、家の中に動物がいない、ということがありませんでしたね。
チーが死んだあと、しばらくは小鳥を飼っていましたが、そのうちに母が犬が飼いたいと言い出し、二匹のトイ・プードルを飼うことに。やがて小鳥が死んで犬だけになると、しばらく「おイヌさま」の天下が続きます。二匹のプードルが片方が病気で、片方が老衰で死んだあと、今度はポメラニアン。このオスのポメラニアンを買ってきて「ケン」と名付けたのは私の妻でした。私は猫飼いたかったんだけど、犬好きの彼女に押し切られて…。
彼女は結局その犬とともに過ごしたのは2年に満たなかったのですが、ケンのほうはなんと19年の長寿を保ちました。

ケン

でも最期のころはもう本当にヨボヨボでほとんど家の中でも動かない状態に。
動物病院に連れていったときには医師から、
「もう寿命ですね。わずかでも延命させたいなら薬がないわけじゃないですが、どうしますか?」
そう聞かれて私たちは悩みました。でも、無理やり生かしておくことがケンにとって本当に幸せなのか??
結局、私たちは延命投薬を行わず、自然に任せることにしました。医師から「あと1ヶ月もつかどうかですね」と言われながら。
その言葉通り、ケンはほぼ1ヶ月後天国に昇りました。
私は会社に行っていて居合わせなかったのですが、最後は母の腰にもたれかかるようにして息を引き取ったそうです。
19年…家族同然に過ごしてきた犬の死は…こたえました。
なんだか、家の中で灯がひとつ消えてしまったような…。
これだったら延命投薬をしたほうがよかったのでは、などと考えたりもしました。
でも、それから数日経って、動物病院から花束が届いていました。院長先生曰く、
「19歳まで生きたというのはおめでたいことだから。大往生だから…」
それを聞いて、なんだか救われたような気がしましたね。
「みかんは、いくつまで生きてくれるかなぁ…」
「…お父さん、嫌です。そんなこと言っちゃ!考えてもイヤ!」
「でも、今度の考えたんだ。ギーさんより長生きしてくれるといいな、って…みんなでゆっくり年取って、平和にずっと生きたいよ…」
「みかんのしっぽ、二股に分かれてもいいよね…?」

「みかん・絵日記」 9巻

(白泉社「みかん・絵日記」 第9巻 より)

動物を飼っている人はみんなそう思っていると信じたいよね…。
ケンが死んだ後、四十九日を過ぎて間もなく、我が家にはまた新しいポメラニアンがやってきました。今度は母が名付け親で「ゆう」。ケンがどちらかといえば腕白小僧だったのとは対照的に、すごく控えめで優しい性格の犬でした。
ところが、このゆうは四年前の冬、昼の散歩の途中でどうやら毒物を口にしたらしく、翌朝母のそばで血を吐いて死んでしまいました。その前の晩、仕事を終えて帰った私の目を見ながら、悲しそうな、苦しそうな表情をしていたのをよく覚えてます。思わず頭をなでてやりましたが、その時は原因もわからないので「たぶん明日の朝になれば治ってくれるだろう。ダメだったら医者連れて行こう」と思って床につきましたが、翌朝私が起きた時には…。
この時ばかりは私は後悔しました。なんであの時、一緒に起きていてやらなかったのだろうと。
その日から数日、私は年甲斐もなく人目のないところでは泣いていました。このあたりの話は掲示板にもちょっと漏らしたことがあるのでご存じの方もおられるでしょうが…。この子は、わずか6歳でした。薄命でしたね。

ゆう

哀しみは時間が解決してくれるって本当だね…
時間はゆっくり思い出を やさしいものに変えてくれる
哀しみよりも愛しい記憶に 時の魔法は変えてくれるよ…
今我が家にはセキセイインコが一羽います。
これがまたよくしゃべるんで…。
「キューちゃん寒いの。キューちゃんキレイ、キューちゃんキレイ、のりたまオイシイ、のりたまオイシイ…」
なんなんだ、この鳥は。(^^;

キュー

人も動物も、悲しいことだけど別れはかならずやってきます。
二度と帰らぬ尊い命だからこそ、共に時間を過ごす間は優しく接していられたらいい…。
ギーが死んだ後、みかんとキリーの間に子供ができたことがわかり、物語は大団円となります。
「みかん・絵日記」の第一期はここで終了。
ちなみに、アニメ版ではギーは「占い師の家に飼われている年寄り猫」という設定になってまして、「ヒゲぬけ」(猫の世界では縁起が悪いとされている)になったみかんの手相を見たりします。(^^;
「ワシもずいぶん長生きさせてもろうたが、これほどの凶運に取りつかれた猫は見たことがない!」
「え〜〜!!?」
「今のお前は『歩く疫病神の大凶ネコ』になってお〜る!」
「そんなぁ〜」
…で、ドタバタ劇が展開されるんですが、顛末を知りたい方はビデオかDVDで。(^^;
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