3月14日(木) 曇りときどき晴れ |
この日の日の出は、雲のいたずらでこんな感じに。まあ、こういうのも味ですが…。
昨日の給餌終了をタンチョウたちも悟って、おそらく昨日の午後から今日にかけてドッと繁殖地に戻った番がいることでしょう。もちろんそれ以前に里を後にしたタンチョウたちも大勢いる。いやこの暖かさだから相当数いたでしょうね。そんな彼らの様子を見に。ちょっと根室方面まで和田さんのエスコートで遠出してみました。と言っても、あっちこっち行こうとすると虻蜂取らずになるので、目的地を風蓮湖畔一点に絞って。
途中で見かけたオオワシ。
この鳥は図体に似合わず非常に憶病なのでなかなか近くで撮れません。この写真、実は超望遠で撮ったものをトリミングしたものです。(^^;
ただ行動パターンが決まっているのである程度時間に見当をつけて定位置で待っていればこういう姿も撮れます。空が晴れていればよかったんですけど、あいにくドン曇り。
ここは知る人ぞ知る、朝オオワシが多く集まる場所。比較的見通しのよい場所なので人間が姿を現すと飛んでしまいますからクルマに乗ったまま遠くから望遠レンズを使っての撮影になります。
地面に下りてるヤツもいました。
キタキツネ。
彼らも今は繁殖期。具体的に言えば交尾を終えて出産を控えている時期です。雌のお腹にはもう子ギツネが宿っているはず。早ければ湿原の雪が融ける頃になると出産を迎える雌もいます。
3月。あらゆる生き物が新しい命を宿し始める時期。多少の時間差はあるものの、みな新たな命を育むための準備に忙しい、そんな季節です。
繁殖地に帰ったタンチョウも、まずは自分の縄張りの再確認をします。ヨソモノが入り込んでいないか、あるいは餌がしっかり穫れる状態になっているか、巣作りをする場所が確保できるか…番で歩き回りながら自分のテリトリーのパトロールを毎日欠かしません。
タンチョウの縄張りは広いです…最近タンチョウの数が増えてちょっと過密状態になってひと番あたりのテリトリー面積が狭くなってきたとは言われていますけど、それでも平均すると1㎞四方くらいを縄張りにするケースが多いですね。特に根室方面では広い縄張りを構える番が多いようです。
風蓮湖。
長い砂洲の間から海水が入り込むこの広い汽水湖には十数番のタンチョウがいます。
はるか遠くの湖面に佇む二羽の姿が確認できますね。
そしてその遥か手前には…
別の番が。両者の間には見えない境界線があるんでしょうね。両者の距離は1㎞を切っているかも。お互いの姿は視線に捉えているはず。互いに「領域侵犯」してこないかそれとなく監視していることでしょう。
彼らはまだ、巣作りを行うことはありません。というか、まだ今の状態ではできません。
彼らが巣作りを始めるのは雪が融けて湿原の大地がもっとあらわになり、巣材であるヨシの枝をある程度しっかり積むことだできるようになる3月下旬~4月に入ってから。それまでの間は巣作りの候補地の選定と交尾にいそしみます。ちなみに、昨日見たように給餌場でも交尾は行われますが、給餌場での交尾が直接受精・産卵に繋がることはほとんどありません。あれはいわば雄と雌の本格的な交尾に向けての「準備運動」「練習」のようなものと思っていいでしょう。産卵に繋がる交尾は繁殖地に戻ってから行われるというのが一般的です。両者の間にどのような違いがあるのかはわかりませんが、おそらく「練習」することで「本番」に向けてのホルモン調整をしているのかもしれないですね。
ちなみに繁殖地での交尾はほとんど早朝に行われますね。こんな昼日中に行われることはめったにありません。しかしまだ今も「練習」の段階。本格的に産卵に向けて行う交尾は、巣作りの場所が確定し産卵を行う一週間から十日ほど前になります。つまり4月になってから、ですね。
さらにちょっと離れた場所でも…。
こちらは半ば凍った湖面を縄張りにしている番。海水が入ってくる砂洲の切れ目から遠いのでまだ氷結している場所が多くて、小魚などの餌を獲るのも今はちょっと面倒なようで。
氷の薄い部分を突きながら餌探し。ただここは、岸のヨシ原が比較的広いので巣作りは早くできるかもしれないですね。
この番に付かず離れずのような形でちょっと離れた場所で見ているのが…、
黄色い嘴、オオワシです。
彼らはタンチョウが歩いていくコースをじっと見ていて、「ああ、あのあたりにサカナがいるな」と見当をつけて、タンチョウが歩き去ってからその場所で餌探しをしようと待っているわけで。上の写真、よく見るとオオワシのさらに向こう側に一羽の鳥がいるのがわかると思いますが、あれはオジロワシ。
オオワシもオジロワシもともに魚食性の猛禽類ですが、力関係でいうとオジロワシのほうが強いかな。
ちなみに両者ともタンチョウには敵いません。タンチョウは湿原での生態系のトップに位置していますから。なにより体の大きさが段違い。(^^;
おそらく、タンチョウの番が歩み去った後、彼らはそれとなくあの開氷面に近づき、餌を漁り始めることでしょう。そうなると今度はオジロとオオワシの場所取り合戦になるかもしれないですが。(^^;
風蓮湖あたりの海辺に縄張りを持つタンチョウは、淡水地域の湿原にいる番などに比べると食べ物のバリエーションが豊富かもしれないですね。「海の幸」が食べられるんだから。(^^;
体格差とかに影響するのかな、などとちょっと考えてしまいました。
走古丹の漁港にいた猫たち。風が強かったんで、建物を風除けにして日向ぼっこ。
いいエサもらってるんでしょうね…たぶん新鮮なお魚の余りを。丸々太った子ばかり。毛づやもいいです。
別海の町はずれにいた子もドッシリした体格で。(^^;
鶴居に帰る途中で時ならぬ吹雪に。遠くの丘が雪で霞む。
このあたり、若鳥が集まっているということなのでちょっとクルマを停めて待ってみました。
すると、陽が傾いて少々暗くなってきた頃、ゾロゾロと丘の下からタンチョウが。実はこの下には牧場があって、若鳥たちが集う場所になっているんですね。道東にはこういう場所が各所にあります。
雪が舞う強風の中、丘を登り…。
飛びたちました。近くに塒の川があるんでしょうね。
まだ確たる縄張りというものを持っていない彼らは、これから半年、成鳥の番たちの縄張りの合間を縫うようにして生きていきます。こうした一時的な「仮寓」をあちこちで繰り返しながら。
この日、鶴居に戻ったときにはうっすらと家々の屋根に雪が積もっていました。あるかなきかの雪が。
寒暖計が夕方18:00で-1℃。
明日は晴れる…おそらく成鳥は村の中に数えるほどしかいなくなっていることでしょう。
3月15日(金) 晴れ |
最終日。
この日の朝も日の出の光を見ることができませんでした。天気予報は晴れなのに…どうも今回は早朝のお天気には恵まれなかったようです。(^^;
氷結した湖の上を滑るように飛ぶ番。
ハクチョウが二羽、ヒシクイの群れに交じって優雅に泳いでいました。
7時過ぎになってようやく晴れてきた。
南面する斜面ではもうだいぶ雪が消えてきましたね。
朝食を済ませチェックアウト。例によって夕方まで荷物をTAITOに預かってもらって、カメラ1台だけぶら下げてのんびり村内を歩きます。
多くの成鳥の番たちは繁殖地に飛んでいきましたが、まだまだ若鳥たちは村の中に残っています。子別れをされた幼鳥たちも。そんな彼らの姿を今日は追ってみようかと。
とある農場のそば。ここはクルマが多く行き交う道道のすぐ脇にある大きな農場です。鶴居と釧路を結ぶバスの車内からも間近に見える。
見れば数羽のタンチョウが。
幼鳥が数羽。それに交じって首筋が黒い亜成鳥。上の写真で前を歩いているのが亜成鳥。親鳥ではありません。翼を閉じているとわかりませんが、彼(彼女?)はまだ独身の若鳥。翼を広げると未成年のシルシである黒い斑点や縁取りが見え隠れします。
リーダー??の亜成鳥についてゾロゾロと数羽の幼鳥が従い、
やがてぐるりと回って斜面を登っていくと…そこには牛舎が。
以前にも書きましたが、この時期から夏いっぱいにかけて彼らは「若者グループ」を形成して一時的に小さな群れを作って生活します。
ところがこの「若者グループ」というのは時として村の農家の方々にとっては悩みのタネで。
というのも、彼らは縄張りを持たずにグループであちこち放浪するんですが、決まったテリトリーを持たないがために食べられそうだと思ったものは何にでも手を出す。もちろん川の魚や土の中の虫、あるいは土中の小動物。牧場の堆肥の山も彼らにとっては栄養源。そしてそのうちに牛の飼料などにも手を、いや嘴を出す。
この時も、大胆にも牛舎の中に入って行って牛の飼料をついばんでいました。
やがて農場の人が気づいて「こら~!」とばかりに追い払いますが、しばらくするとまたそろそろと忍び寄ってつまみ食い。
タンチョウたちにとってみればこんなに容易に食べ物にありつける場所をみつけたのだから、そうそう簡単にあきらめるわけはありません。しばらくするとまた農場の人が出てきて「こら~!」と。傍で見てるとちょっとユーモラスですけど、農場の方々にとっては「まったくも~!」ってなところでしょうね。(^^;
見つかると「ヤバイ、ヤバイ」とばかりに悪さをみつかった中学生みたいにちょろちょろ逃げる。
しかしほとぼりが冷めた頃を見計らって、再び飛んでくる。
こうなるとイタチごっこ。(^^;
柵から首を出してる牛さんのほうはあまり気にしてないみたいですけど。
まあ、農場の方も「しょ~がないなぁ」てな感じで大目に見てるようで。
ただ牛の飼料くらいならいいのですが、困るのは初夏の時期、デントコーンなどの芽が出ると若鳥たちがそれを狙って畑を荒らすんですよね。放っておくとコーンの若芽を食べつくしてしまう。こうなるとタンチョウも「害鳥」ということになってしまいます。だから6月初めころの植え付けの時期というのはこのあたりの農家の方は大変、タンチョウとの追っかけっこになります。若鳥が畑に近づくと「こら~!」と大声で何度も追い払う。そのご苦労は大変なもの。
…それでも、この村の人はもう半世紀以上タンチョウとともに暮らしてきているので、こう言っています。
「いやホント大変なんだけどさ…でも仕方ないよね。タンチョウだって『村民』だからさ。ツルがいるから鶴居村なんだから」
と言ってます。
前にも書きましたが、長年タンチョウと共生してきた鶴居村だからそう言える。生息地分散とやらで他の地域にタンチョウが移ったら、果たしてうまく地元の人と共生していけるかどうかははなはだ疑問です。
ここから15分ほど歩けば鶴見台です。ちょっと覗いてみました。
数組の番がいましたね。
若鳥ではありません。成鳥の番。湿原に帰る様子もなくのんびりとしています。
彼らはこの周辺の牧場を縄張りとしているんですよね。以前にも書きましたが鶴居村では各牧場にひと番の割合でタンチョウがテリトリーを構えています。牧場の人たちも「ウチのツル」と呼んで大事にしています。そういう番が村内で二十数番、つまり50羽ほどの成鳥が夏場も村内にいます。これ以外にもジプシー的にうろついている若鳥がいるわけですからやはり年間通じてここは「ツルのいる村」と言っていいでしょう。もっとも牧場の多くは主要道路から離れたところにありますから一般観光客の人たちが夏場にタンチョウを目にする機会はあまりないでしょうね。
この番もそう。村はずれの道路。このそばの牧場を縄張りとしている番です。
そして「若者グループ」。
こんな場所にも集まってます。(^^;
これも農場のはずれ。あたりにはブルーシートはあるわタイヤが転がってるわでお世辞にもきれいな場所じゃありません。
まさに「掃きだめにツル」。
こういう場所の写真、多くのカメラマンは撮りません。「人工物が写る」「若鳥ばっか」「絵にならない」とか言って。
しかし、これも彼らの生活の一部なんですよ。だから私はカメラを向けます。
「見栄えのいい写真」だけを撮るつもりはありません。彼らの生態をじっくり観察することも大事だから。私は「タンチョウの写真」が好きなのではなく「タンチョウそのもの」に魅せられているんだから…。
幼鳥そして若鳥が必ず経験する道なんですよね、こういう場所でたむろするのは。
しかし悲しいかな、カメラマンというの人種はどうしても幼鳥や若鳥は無視して成鳥ばかり追いかけたがる人が多い。そのくせ夏になるとヒナは追いかけ回すくせにね…。それってネイチャーフォトグラファーとしては「かたわ」じゃないの?あえて差別用語使わせてもらうけど。バカだよね、はっきり言って。そう言って悪ければ「頭の不自由な方々」ですな。
私はタンチョウにせよ猫にせよ、その写真が好きなんじゃなくて彼らそのものが好きだから撮っている。だから「見栄えのいいシーン」だけじゃなくて、常に彼らの日常を追いたい。ごくなにげない普通の姿でもそこに彼らの息吹を感じるような写真を撮りたいし、できれば物語性のある絵を撮りたい。物語には必ず緩急がある。激しいシーンもあれば穏やかなシーンもある。そりゃ私も凡人だからそれなりにきれいな絵も撮りたい。でも、そればかりを追いかけて彼らの日常を無視するようなことはしたくない。
時々「今日はいいシーンがなかったから一回もシャッター切らなかった」なんてしたり顔で言ってる人がよくいるけど、その人に問いたい。アナタは何を求めて来てるの?と。「いいシーン」って何?もっと言えばアナタは「写真」が好きなの?「動物」そのものが好きなの?どっちなの?と。
私が岩合さんを尊敬するのは、あの人は猫の日常を追っている。「決めカット」を撮ろうという意識がない。実はかなり以前(11年前)に偶然に機会があって実際にお話しさせていただいたことがあるんだけど「普通に猫たちの生態を観察している中で気がついたらいいカットが撮れていた」と仰ってた。あの人の写真見てるとそれがわかる。全然気負った撮り方をしてない。でもそこに物語性を感じるし、猫たちへの愛情も感じる。誰が見ても共感する写真。「わかるヤツだけわかってくれればいい」なんて一段高いところから人を見下ろしたような独りよがりな作画意図がみじんも感じられない。だから多くの人が親しみを感じるんだと思う。
私もできればそうありたいと常々思ってます。タンチョウ撮影も同じ。
和田さんもそうですね。あまり表には出さないけれど、あの人も常にタンチョウの日常を追っている。
もうすぐ湿原にも遅い春が訪れる。
彼らにとっての新たな一年のサイクルがまた始まります。
若鳥たちにとってはこれから半年がまた試練の時期。特に幼鳥たちは大人たちの縄張りの狭間を縫うようにして自分たちの生きる場を転々とさせて生きる術を身につけていかねばなりません。そんな彼らが三ヶ月後、どんな生活をしているか。
6月の訪問の時には、新たな命であるヒナたちとともに必死で生きる若鳥たちにもフォーカスしてみたいと思っています。